街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

ブラトマト01 京都市左京区岩倉

 

「ブラトマト」01 京都市左京区岩倉(いわくら)

 

 はじまりましたブラトマト、最初の土地に選ばれたのは京都!メールに残っている一番古いお問い合わせがこの左京区岩倉○○○からのものでした。こないだ行ったばかりだし、なーんだ京都か(笑)という感じで早速グーグルマップ、イン!

 バーチャルじゃなくて、実際先月訪れた京都も左京区で、少し近い場所。行ったのはバス停「錦林車庫前」あたり、ライブハウス「外」、ホホホ座、安楽寺~、住宅地でもないし商業地域でもないし、なんともいえない大きい道路がここも走ってて。

 

左京区の南部 京都盆地の最北端

 さて、岩倉。もともとは岩倉村だったようで、現在は岩倉○○、岩倉××、というような地名がいくつもあります。wikiには「京都市左京区南部に位置する地域」とあって、な、南部??と疑いながら、調べると、まあなんと左京区のでかいこと。頭でっかち?というのはおかしいが、左京も右京もその大部分が山であることをはじめて知りました。確かにこの範囲からすると南部です。なので、岩倉は「左京区の南部」であり、同時に「京都盆地の最北端」と言えるようです。地図でみてるより、実際ずっと周り山だろうなあ。こんな景色は沖縄には無いのでそそられます。

岩倉 (京都市) - Wikipedia

 

 

宝ヶ池公園(たからがいけこうえん)

 さて、特になにも無い!岩倉。住宅街のようなとこだろうか、京都駅あたりからすると急激に静かな場所だろうなあという感じがします。そして一番目に付いたのがなにか公園的なもの。宝ヶ池公園。「一年中観光客が少ない、京都の穴場スポットで、京都市民が休日にお弁当をもってやって来る、知る人ぞ知る静かな癒しスポットになっています。」とオススメされていて、これはいいんじゃないかな。京都駅なんか行きたくない私としてはこの辺で鳥に餌ねだられていたい。

京都の穴場!本当は教えたくない宝ヶ池ガイド

 

 

■グランドプリンスホテル京都

 その公園あたりを散歩しているとなにやら白い円形のビルジング。なんだろうと思うと公園に隣接しているホテルでした。これはさぞかし高級だしょう。と思いきや意外にお安い感じ。平日ツインで1人6860円あたり。京都だし安いと思いますし、この自然豊かな立地、しかも気に入ったのは駅が近い!京都行って目的地に駅が近かったためしがありませんので、これもポイント高いのでは。しかも烏丸線です。京都駅から1本。ちなみにさっきまで「とりまる線」と読んでいました。ありがとうございます。

トップページ |グランドプリンスホテル京都

 

 

叡山電鉄鞍馬線

 宝ヶ池~ホテルに近いのは烏丸線の国際会議駅ですが、もう一本少し離れているが叡山電鉄鞍馬線が走っている。鞍馬に行くときもいいんじゃないか?その路線の駅に「岩倉駅」があり、しかし無人駅のようで、やっぱりのんびりした感じなのかなーという。岩倉駅すぐ隣に洛北中学校とある。洛北。洛北出版でぴんと来たが、それはまた別の場所だった。そういえばさっきのホテルのサイトにも「洛旅」とあったし、洛ってこのあたりの地域のことなのか?と思いきや。

叡山電車 – 京都・洛北(比叡山、鞍馬、貴船)へ観光旅行

 

■洛=京都
 洛って、京都の古都・・・京都のことだと知りませんでした!京都に入るとき「上洛」出るとき「下洛」というらしい!由来は中国の洛陽をモデルとして作られた町だからなど。

 

京都精華大学

 精華大学は知っています。学祭とか。homecomingsとか。MTとか。このあたりにあったのですねえ。例の叡山電鉄鞍馬線京都精華大前が。

 

 

■今井食堂 

 オススメグルメスポットとしては!(行ったこと無いです)。グッドうどんアンテナが近隣でヒットせず!でしたが、少し離れて今井食堂というとこ見つけました。なぜか両側の壁に向かってカウンターが並んでいるという小さな店みたいですが、サバ煮定食!これは気になります。

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260503/26001221/

 

 

「ブラトマト」概要

新企画!「ブラトマト(仮)」

毎週木曜(仮)にお送りするバーチャル散歩企画!

 日本全国の数ある市町村からランダムに選ばれた知らない街を、グーグル先生などインターネッツを活用し、座ってながらにして探索してみよう。という企画です。

 

●ルール

■市町村ランダム選出方法

→過去にCD屋にオーダーいただいた方の住所から。
※匿名性を守るため、地名がwikiで出てくるあたりまで、住所の範囲を広げること。+古いオーダー(5年前あたり)からの抽出。

 

■その街はどんな街?

→そこに旅行に行くとイメージし、その下調べ的、いい場所/店/歴史を探る。

※よさげな「うどん屋」もしくは「食堂」を一軒はみつける。

※電車に関して。

 

めあて追記

・デパート屋上の調査(12/15)

 

叫びの都市

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原口剛 『叫びの都市』 2016

 

 ↑の「通天閣」のタグを遡ってみるとほぼ1年前からはじまった大阪ディープサウス、改め自分的にはまとめて総称「通天閣」についての文献集め。『釜ヶ崎のススメ』そしてなにより酒井隆史氏とのジェントリフィケーションについてのディスカッションで、その名を知り急激に注目すべき人物となった原口剛(はらぐちたけし)氏の確か初の単独の著書。原口さんはまだ40歳です。

 1年追いかけてきて、遂に出る単独本!ということで、勢い余って、そしてここでなにかひとつの締めとして、11/20の出版記念イベントに参加してきました。三角公園のすぐ前、ふるさとの家にて。お昼15時から。

 イベント主催の「はなまま」さんにも事前にメールでやりとりしてもらって、会場でも声かけてくれたり、とてもお世話になりました。西成にまたひとつ知っている場所できたのもやはり今回行ってよかったと思える体験。

 会場の満員の椅子、座っている人たちはホントにいろんな人々、学生や、研究者ぽい方から、ずっと喋ってるおばあちゃん、その隣にはシスター、車椅子の方、そしてこのあたりの労働者ぽいおっちゃんたち。事前にはなままさんのメールの中にあった、「釜ヶ崎らしく、まずは釜のおっちゃんらが主人公だという立場にたちざっくばらんに話し、その中で現実の釜を知ってもらう」という思いを、その場にいるだけで実感した集まりでした。

 

 今回、お話がとても残っているゲストの水野阿修羅さんがひとつ、この『叫びの都市』で間違っているものがあると発言したのは、相撲の件についてだったのが、会場の笑いを誘っていた。本文p252あたり、夏祭りの起源となった1971年12月10日の行政に対する越年要求にむけた決起集会における相撲事件について。本には集会が盛り上がらず早めに終了した「その後」、時間をもてあました人たちが相撲をはじめた。とあるが、阿修羅さんが訂正するには、終わったあとじゃなくて、相撲がはじまったのは決起集会の最中だった!という証言。話がつまらなくて飽きてきたおっちゃんらが、決起集会やってる後ろで、相撲をやりだして、それが正面の舞台そっちのけで、大盛り上がりになってという真実(笑)。仕切っている実行委員からしたら頭痛くなりそうな状況だが、しかしやっぱり面白い。これが釜ヶ崎か。この盛り上がりをヒントに三角公園でスポーツ~のど自慢大会を開催することになり(またその機転もすごい)、それが現在も続く1972年の夏祭りへとつながっていく。

 おっちゃんらの盛り上がりがなんかイメージすると騒がしくもほほえましい感じするが、象徴となる夏祭りのやぐら、三角公園を奪われたモノタチが、真っ先に壊しにくるのもこのやぐらであり、無論同じく決死に守るのもこのやぐらであった話。そして本領発揮!とはこのこと、あっちもこっちも造ってきたプロのおっちゃんらが、ぱっと建ててくれるこのやぐらという、釜ヶ崎のひとつの誇りのような存在は感動するものがあった。

 今移転で揺れるあいりんセンターも壊してはいけない、この釜ヶ崎の門でありモニュメントであるという話。次の日、歩いていたら、警察署のあたりに行列ができていて、気になったのでたどってみるとその裏の四角公園での炊き出しであった。あの光景を体験できたのも大きい。この街は無くなってもかまわない街だろうか?

 

 実は今回、一年追ってきた原口さんでも一番めあてだった酒井隆史さんでもなく、やはり最も残っているのは水野阿修羅さんの言葉であった。あの鈴木組闘争に関わってた人なんだ!?ということでも感動しながら聞き入った。(俺の中で有名人が目の前にいっぱい!)

 阿修羅さんの話を頭で要約するに。「こんな汚い街なんかいらない!」の声がやっぱりあるけど、実際ここに住んでみてこんなに面白い街なんかどこにもない!ということ。全国各地から押し出された、「ややこし人」ばっかり集まってきた街。でもそんなややこし人らは誰とも違って個性的だし、他の街ではのけ者でも、この街では弾かれない。その過去を聞かれることも無い。誰にでも寛大な街、釜ヶ崎

 私が、釜ヶ崎が好きな訳、それは「面白い街」だからでいいんだ。阿修羅さんの話でふっと胸のつかえが取れたような、いや改めて気がついたような、それがこの1年間言えずにいたことだったのかもしれない。

 

 住む、というのは寝るだけではない。食うこと呑むこと、またくつろぎ憩うことなども住むないし暮らすことののなかみだ。そして労働者はドヤの一畳あまりのスペースに住んでいるのではなく釜ヶ崎に住んでいる。釜ヶ崎で酒を呑み飯を食い仲間としゃべり喫茶店や三角公園でテレビを眺めなどする。要するに現在一般化した住居様式でならダイニングキッチンや居間の役割を、労働者は釜ヶ崎という範囲の町に果たさせているのだ。果たさせる以外の方法がないのだ。だから釜ヶ崎は一つの町であるが、労働者にとっては仕事場から帰りついた住み処という性格が認識されている。ドヤはそのうちの単なる寝室にすぎない。酔いすぎた者が寝室以外でも眠るのはむしろ自然なので、そう咎めだてする必要はない。

寺島珠雄釜ヶ崎語彙集 1972-1973』 p120 [酔い倒れ] 

 

 

釜ヶ崎は真冬でも温かい◆

〈『部落解放』2002年04月号掲載〉 水野阿修羅 コラム・水平線020

コラム・水平線020

 

 早速、『その日ぐらしはパラダイス』(1997)を購入。一つの締めとは言え、まだしばらくこの街を探索することになりそう。

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大阪放浪記2016秋②

2016.11.20日

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いつもは窓開けたら隣の窓なのに一転今回の部屋は絶景でした。1001号室。

 

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玉出の公園でのバザーに潜入

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枯葉舞うションベンガード

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難波屋カレー。

難波屋で工藤冬里さんと少し話せたのは曇った昼下がり。本番は見れなくて残念だったが、瓶ビールの向こうでリハのピアノ少し聞こえていた。

 

 

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 今回の旅の目的。この丸一年その著書を追いかけていた原口剛さん、そして酒井隆史さんが目の前に居るのはやっぱ、うあー本物だ。。という興奮が。ゲスト水野阿修羅さんのことは存じてなかったが言葉がとても残っている。釜ヶ崎という家。

 そばに座る酒井隆史さんが大島渚にも見えたりしてたのだが(笑)、原口剛『叫びの都市』の内容は本文にも出てくる『太陽の墓場』と直結していて。あの好きな映画の奥にあるもの、なぜ冒頭が港なのか、そして暴動(実際より映画の方が先というのが予知的?)、いろいろわかって更にお気に入りに。

 今移転の話で揺れるあいりんセンター、そして三角公園の夏祭りのやぐら、そのふたつが釜ヶ崎の門であり、モニュメントである。やぐらは労働者たちの本領発揮!ぱっと作ってしまう、そして何よりも守るべきもの、象徴。

 印象的な、きれいに舗装されたアスファルトをはがして投げつける行為は、お前らの好き勝手にはさせんぞ!という叫び、戦い。闇の奪還。

 

 ◆釜ヶ崎は真冬でも温かい◆  〈『部落解放』2002年04月号掲載〉 水野阿修羅

コラム・水平線020

帰り朝は四角公園での炊き出しの列も見た、飛行機では『暴力の哲学』を再度(正直難しい・・・)、マルコムX、ブラックパンサー、アメリカ、そして沖縄。

 

 

 

2016.11.21月

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「伊吹」

今池のとこの老舗喫茶店。玉出をぼんやり眺めつつ。メニューなし店の狭さもコーヒーも濃い印象

 

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ディスクユニオン大阪店」

やはり気になり。勝手に心斎橋かと勘違いしてたが梅田の方。園まり嬉しい。

 

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「つつみや」

ハイカラうどん400円。チェックしてた天満のうどん屋さん。「ハイカラうどん」なんてメニューにはないこと知らなかった。天かすの油と海苔ネギの合わせがとてもいい。

 

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去年の3月桜満開だった扇町の公園。紅い!桜って紅葉するの知りませんでした。

 

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レアな輝かない通天閣。(工事中)祝還暦!

大阪放浪記2016秋①

2016.11.18金

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「たつ屋」

ホルモン鍋1人前800円。動物園前のファミマの裏。相撲見ながら。うまかった。

 

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「喫茶マヅラ」

梅田地下街。万博あたりの内装だろうかまばゆいカラクリプラスチック。フルーツパフェ

 

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「ひげ勝」

西成花園。ここの串カツは別のとちょっと違う。やっぱうまいす。青唐、しいたけ、ぶた、、

 

 

 

2016.11.19土 京都

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「みつ蜜 坤高町店」

佐野千明さんにはじめて遭ってきた。さのっちって感じだった。佐野さんが店番してる焼き芋屋さんだよ

 

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紅葉の安楽寺

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ホホホ座

ホホホ座の壁に並んでいた『まだまだ知らない夢の本屋ガイド』の原画展、少し思い出している。本はその日は買わなかったがやっぱり気になるので買おう。「ポチッ」世代へのカウンターとしても面白い。

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街のパン屋さん

 

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「倖元」(ゆきもと)

ここしか開いてないから。という理由で飛び込みで入った蕎麦屋があたりだった!玉子とじ(十割)950円。瓶ビール

 

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豊田道倫ライブ 外

京都の少し外れ。あ、はずれだから「外」か?新しいおしゃれなライブハウス。豊田道倫。金ぴかのあのスニーカー。いつも通り聞いたことない=新曲にぐっと気持ちが乗っている。飛び道具の使い方もさすが絶妙。豊田さんは私の数少ない友人。

 

原口剛さんインタビュー

紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

 上記リンク先。「図書新聞」3130号2013年10月12日掲載と思われる『釜ケ崎語彙集1972-1973』への原口剛さんインタビュー。そのとてもわかりやすい釜ヶ崎の成り立ちについての語りは、『釜ヶ崎語彙集』へのというよりも、そのままその後2016年に出ることになる自身の著『叫びの都市』の要約になっているようだ。

 詩人「寺島珠雄」を中心にして書かれた『釜ケ崎語彙集1972-1973』は40年という時の歪み?も手伝って、ユーモアも交えかなり主観的に、ちょっとした小説のようで面白い。この記録を種に『釜ヶ崎のススメ』~『叫びの都市』へ。釜ヶ崎関係の重要書と思われる。

 

西萩町

 どうしても目指すは西萩(にしはぎ)である。おぎではない、はぎ。チエちゃんの住んでる町であり、はるき悦巳の出身地。今の地図には無いが架空ではなく、実在していた町。プレート※によると大正14年~昭和48年(1925~1973年)まであった町。

 そのことはじゃりン子チエ好きにはもちろん知られているが、この西萩がいったいどこだったか、いくつかの釜ヶ崎の本を読んできたが意外に地図は載っていない。いなかった。が、『釜ヶ崎語彙集1972-1973』の再現地図に「西萩」を発見した。しかし少し見づらいこともあったので、GoogleMapを使って、現在の地図の上に重ね、色をつけてみた。

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 赤のエリアが西萩町。と思われる。現在の花園北の一部。『釜ヶ崎語彙集』巻頭の「釜ヶ崎今昔対比地図」を参考に。

 

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 赤が西萩、青が東萩である。つまり真ん中の電車マーク=萩ノ茶屋駅を境にして、西が西萩、東が東萩。一般的に「釜ヶ崎」と呼ばれるのは萩之茶屋より東側(南海の高架橋より東)なので、西萩は釜ヶ崎の中には微妙に含まれていないという感じか。だからあまり地図に載ってないのかもしれない。まあ西萩に追究することも少ないか。

 漫画でも(アニメだけだったかな・・)最寄の駅は萩ノ茶屋駅ほぼそのままの姿ででてくるし、チエちゃんの通う西萩小学校(実在しない)のモデルではないかとされる萩之茶屋小学校はガードくぐればすぐだ。赤い囲みの上辺の西が長く伸びる鶴見橋商店街

 

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 さらに拡大。見切れてしまっているが花園町駅のところにある弘治小学校(廃校)の裏に、西萩町のプレートがある。その裏道あたりにお好み焼き屋もあったな。と、やっぱりこの赤いエリアのなかでホルモン屋やお好み焼き屋がないか探してしまうわけです。ちなみにこれも見切れているが左側の串カツ「ひげ勝」とてもいい。

 それなので『釜ヶ崎語彙集』にでてくる1972年に存在したとあるホルモン屋の記録に妙に興奮してしまうわけで、場所は残念ながら西萩ではないが・・・詳細がとてもチエちゃんの店に似ているのだ。萩之茶屋から今池に抜ける萩之茶屋商店街にあった「鶴一」

鶴一(つるいち)

ホルモン屋。西成警察署前を南へ過ぎた十字路を右に曲がった萩之茶屋商店街にある。向かいはしばしば投石されたパチンコ屋日大会館。ホルモン屋の多いなかでこの店をあげるのは、いまも炭火を用いているから。(中略)

カウンターと椅子席のほか奥に小上りの畳敷もある。

寺島珠雄釜ヶ崎語彙集』p136-137

 「カウンターと椅子席のほか奥に小上がりの畳式」。当時の店は大体がそんな感じだったのか、はたまた特徴的なのか。パチンコ屋は今もあるようで。さすがに鶴一はもうなさそうだが、探してみよう。跡地でもいい。じゃあ、ここがおばあの店だったんじゃ?そして西萩のテッちゃん改めチエちゃんが架空の・・・などという妄想の話です。

 

参考文献:

寺島珠雄釜ヶ崎語彙集 1972-1973』

原口剛 『叫びの都市』

 

※プレート↓

通天閣 第一章「ジャンジャン町パサージュ論」

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しかし、このような短期的利潤取得への動機が強かったからこそ、というようり厳密にいえば、長期にわたる人間の教育やそのための装置の構築などには興味をもたなかったからこそ、大土地の動きは、もともと当該の土地あるいは空間性がはらんでいた潜在的傾向性に追随することを選ばざるをえなかった。ルナパークは、初手から装置の破綻を運命づけられていたのである。

酒井隆史 『通天閣』第一章 p154-155

  2週目の『通天閣』今度はじっくり読めている。上記が一章「ジャンジャン町パサージュ論」のまとめといえる部分だろう。言わば面白い町をつくろうと思わなかったからこそ、面白い町ができあがった!という歴史、及びその概念は、やはり面白く、もちろん町の成り立ちだけに留まらず、いろいろな場面においてひとつのヒントになりそう。

 じっくりと読んでいくとこの一章だけでもたくさんの登場人物がでてくる。出たりひっこんだり、あちらでやらかしたり、やらかしたことが次の事件につながり~そうやって町ができていく。次第に本を覗く自分が、なんだか雲の上からグーグルマップ的に新世界界隈を覗いている気分になってもくる。このあたりは社会学?というのだろうか、歴史学だろうか、深く研究している学者たちは、少し自分が神がかった気分になったりしないだろうか。雲から下界を覗いて、登場人物を動かしたり、時代を進めたり戻したり、、街づくりシュミレーションか。

 話を戻すと、はじめに「新世界」をつくった大土地(大阪土地建物株式会社・土居通夫、高倉藤平、宮崎敬介)の目的が、街づくり、というよりもいわば単なるカネ儲け目当てのものであったがために、ぴしっとした「ユートピア」など生まれず、ほころびまくりながらズルズルと町はゆき、そのほころび目をねらって排除されたはずの者たちが逆流し、好き勝手に理想も計画もなく形作っていった街。そのいびつさとパワー。それが新世界。新しい世界であった。

通天閣

 

ほぼ一年ぶりに読み返し始めている。酒井隆史の大著『通天閣』。1年前にここから始まっていろいろ巡って一度戻ってきた。14ページに及ぶ膨大な巻末の参考文献ページ、通天閣~いわゆる大阪ディープサウスに関する資料用資料としても起点となる1冊である。

 

 ただ、この10年間で、秘密とそこから生まれる魅力は次々と失われていった。確実にいえるのだが、それは、謎解きがわずかなりともすすんだからというわけではない。このふところ深い町、したがってひとをただ一つの夢想に巻き込んでいく力――資本主義と呼ばれることもある――に免疫力のあった町にすら、おなじ眠りを眠らない者、おなじ夢想を生きない者、そのただ一つの夢想にそぐわない場を嫌悪する気風にさらされはじめたというところだろうか。

酒井隆史 『通天閣』p732 あとがきより

 

沖縄とは。ひかれるディープサウス、比較、魅力はわが町にはないか?近くて探せない。大阪へ行こう。そこから沖縄を見る。