街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

monograph

f:id:cdya:20170629113647j:image

 昨今の個人的な音楽意識はほんと20年前に戻っていて、それがすごく新鮮。そんな中好きなloreleiというバンドを調べてるときに偶然みつけたこのCDを届いてからずっと聞いてる。よくわかんないロンドンのバンドでアルバムはこの99年の1枚のみ。メンバー紹介表記がクレジットですでに "monograph WERE ..."と過去形で、そこいらの青春感もいい。

 書いたようにこのバンドは名前がmonographであって、最初に調べてたバンドとはなんの関係もない。タイトルがloreleiってだけです。そんなきっかけはあったにせよ、正直ジャケ買いです。いいなあ。このblurな(バンド名じゃなくて、)ぼんやりした。きっとトラキャン好きなバンドだよな。中身はUKのレモンヘッズかなーと思うけどそっちよりいいかも。

 きりがないから洋楽禁止令がでてたこともあったが、ここにきてぐっとフォーリンブーム。もういっこはRED HOUSE PAINTERSをまたひたすら聞きまくっている。

 

メモモ6/4

・ニンゲンは、ノイズに飲まれないようにメロディを紡いでる。つまり混沌に飲まれないように安定(秩序)を紡いでる。

 

・民族的、資本主義的にも人間は「たったひとつ」へどんどん尽きつ進んでると感じるがそれが本能的な安定安心であるんだろうか。完全なる安定を手に入れたとき超人類になる。(自然から離れる。別の星に?)

 

・音としてなら、例えばマイナーコードが聴くだけで世界中の人がにたような感覚をもつ不思議は、メジャーが安定、マイナーは不安定ということで整理できたはず。つまりなんだか悲しいというのはなんだか不安定。混沌。

 

・人間が作り出す「音楽」である以上、自分的には「ノイズ」じゃなくて「メロディ」に希望と言うか、向かいたい手を伸ばしたい思う。でもそれは自然から離れていくという矛盾。ここで矛盾と言ってしまうのは自然から離れていくこと自体への不安か。わかんなくなってきたぞ

まつろわぬ民

f:id:cdya:20170503125941j:plain

宮崎 話がどうも脱線してますが、僕は、日本の自然保護の方法というのは、全ての山川を神社にしてしまうしかないんじゃないかと思う(笑)。

 「この山は御神体だ」とか、白神山中は、「あの山こと神のいます場所だ。そこをお前らは穢すのか、七代祟るぞ」(笑)とか

 「あそこのばーさんが早死にしたのは、木を伐ったからだ」とか言えば、なんとなとなく分かる(笑)。

 そういうような部分を日本人は、いまだに残しているのですよ。

 日本人がメチャメチャにしたこの風土を変えさせる、いちばん大きな根っこというのは、「人間にとっては緑が必要だから残しましょう」という利己的、西洋的な考え方ではなくて、「清浄な所を穢してはいけないのではないか」という思考と結びつくような考え方です。

もののけ姫を読み解く』p78 「森と人間」

 

 白崎映美インタビューが良かったので、急にひっぱりだしてきたもののけ姫の本。やはりここにも蝦夷はもちろん「服(まつろ)わぬ民」という単語は登場する。「支配されない、迎合しない」民というキーワード。サンカ・サンガの本も読まねば。

 そしてインタビュー中のこの下り、岡本太郎の本でもポイントとして記していたことを思い出し記録。ほとんど同じ洞察と考える。

 日本の得意な「アニメ」がアニミズムの「アニマ」と同じ語源であることに改めてはっとし、急速に合点するわけだが、八百万の神なり、神道なり、我々が今も内に持っている言わば闇の部分をあらためて見つめ大事にすべきかもしれない。比較して西洋には教会があるだろうとは思うが、また一神教多神教の違いも大きいだろうし、あの天使のイメージには悪魔が表裏で隠れている感じがとても強く、日本の鬼とは(蝦夷、土蜘蛛の説はまた改めて読みたい)=正義と悪ですっぱり割り切れるような存在ではない。

 

「アメリカ映画に限らないのですが、ヨーロッパからはいってくるファンタジーがありますが、光と闇が戦っていつも光が善なのです。悪い闇がのさばってくるのを、光の側の人間がそれを退治する。それと同じ考えが日本をむしばんでいると思います。」

「森と闇が強い時代には、光は光明そのものだったのでしょうね。でも、人間の方が強くなって光ばかりになると、闇もたいせつなんだと気がつくわけです。私は闇のほうにちょっと味方をしたくなっているのですが。」

もののけ姫を読み解く』p164 「思想の物語」