街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

ハナとケツ

要はハナとケツなんじゃないだろうかと、運転しながら出勤途中そう思った。

最近の人たちは電車でも本じゃなくて、スマホを眺めてて「残念」という、思いは私にもあったりしてというかその罪悪感みたいなものは確かに、しかし例えば実はそのスマホで小説読んでいたんならどうなんだろ。とか思うし、そうなると違いは何かと問うなら、ハナとケツ、始まりがあって終わりがあるというようなことなんじゃないかなというとっかかり。

ネットはキリがないというか、達成感というか、SNSとかブログとかダラダラずっとみていて、音楽にしても良く思っていたランダムやループというケツのない聞き方。そこが問題なのじゃないだろうか。簡単に言うとイメージする時間がない。暇が無い。その罪悪感なのではないだろうか。本には始まりがあり、終わりがある。CDにも始まりがあって終わりがある。区切りがある、終わりが来るということによって残る余韻。達成。思いを馳せるという行為。