街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

怒りと憎しみ

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 マルコムは、憎しみを煽ったというのではなく、むしろ、黒人たちの自己や他者にむかう憎しみを怒りに変えたというべきです。この二つの感情はわかちがたくからまりあっているとはいえ、憎しみは状況総体や制度ではなく特定の人間や集団にむかいがちです。憎しみは、その感情をもたらす原因に遡り、根源的次元から根絶しようというのではなく、その結果であるもの―人間、集団―を排撃したり殲滅することでカタルシスをえるという行動をみちびく傾向を強く帯びた感情だとおもいます。それに対して、怒りは憎しみそのものを生みだしている、より広い条件にむかう、より思慮にひらかれた傾向があるようにおもわれるのです。権力はこの憎しみという感情のもつ傾向につけこみ活用します。(後略)

酒井隆史『暴力の哲学』河出文庫p57より

 『暴力の哲学』を読み返し始めています。ざっくりとこの本から、あ、怒っていいんだ。という気づきを得たと思います。日本人そしてきっと特に沖縄の人、さらに私自身は、怒るのが苦手な人たちだと思う。岡本太郎の『沖縄文化論』をまたここで思い出す。「美ら瘡(かさ)」の話。

  

沖縄には「美ら瘡」という面白い言葉がある。天然痘のことだ。近ごろは病気自体がなくなったので、あまり使われないようだが。

 どうして瘡が美しいのだろう。

 折口信夫はこれについて、

「病いといえども(他界からくる神だから)一おうは讃め迎え、快く送り出す習しになっていたのである。・・・海の彼岸より遠来するものは、必ず善美なるものとして受け容れるのが、大なり小なり、われわれに持ち伝えた信じ方であった。」

と報告している。

 適切な見方である。しかしそういう過ぎ去って行く神秘的なものに対する儀礼的な気分だけでは、この微妙な表現は解明しつくせない。もっと現実的な、一種のおそれをこめた弁証法的な表現がそこにある、と私は考えるのだ。

 災いとか伝染病を美称でよぶのは、なるほど、ひどく矛盾のようだが、しかしかつての島の人には切実な意味があったに違いない。複雑な心情である。

 外からくるものはいつも力としてやってきて、このモノトニーの世界に爪あとをのこす。それはよし悪しを抜きにして「貴重」なのである。だから畏れ敬って一おう無条件にむかえる。

 だが何といっても、これは天然痘なのだ。決して好ましい客ではない。この凶悪に対し、彼らは無防備なのである。卑しめたり、粗末に扱えばタタリがひどいだろう。なだめすかして、なるべくおとなしく引き取ってもらわなければならない。

 恐ろしいからこそ大事にする。人間が自然の気まぐれに対して無力であった時代、災禍をもたらす力は神聖視された。”凶なる神聖”である。それは”幸いなる神聖”と表裏である。幸と不幸とがどこで断絶し、連続しているか、それが誰にわかるというのだろう。近代市民のように功利的に、吉と凶、善と悪、まるで白と黒のように、きっちり色分けして判断し処理することはできない。幸いはそのまま災いに転じ、災いは不断に幸いに隣あわせしている。それはつねに転換し得る。

 強烈に反撥し、対決してうち勝つなんていう危険な方法よりも、うやまい、奉り、巧みに価値転換して敬遠して行く。無防備な生活者の知恵であった。

 私は現代沖縄の運命について考える。占領され、全島が基地化されている。ここはもはや沖縄であって沖縄ではない。当然それは民族にとっての言いようのない苦しみである。それは天然痘―もっと厄介である。残酷な実情について私たちはすでにいろいろ聞いている。反抗はもちろんある。たとえば先頃のアイク訪問の際、三十センチ間隔にずらりと着剣して構えたカービン銃の威嚇の前で、デモをかけた。そのような近代意識の上に立った政治行動は、現代沖縄の傷口の端的な叫びである。しかし、にもかかわらず多くの沖縄人の、あのやわらかい表情、運命的力に対して恭順に、無抵抗に見える態度の底には、チュラカサの伝統、災いをいんぎんに扱って送り出してしまうという、辛抱強い護身術が働いているのではないか。

岡本太郎『沖縄文化論』中公文庫p184-186より


 「美ら瘡」という受け入れ方は、哀れというよりもむしろたくましい、翻弄される運命を持った小さな島小さな国が、己のアイデンティティを守っていくために長年育んできた方法であり、我々の心の中に無意識に今も宿っているものだと思います。その沖縄の人たちが怒りを表す時。それがどういう場面なのか。他界の人たち、そして何より無意識な我々自身が、今一度知る必要がある気がします。