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街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

岡本太郎の見た日本

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赤坂憲雄 『岡本太郎の見た日本』 2007

 

うちなる原始人

 「西洋化」「近代化」について改めて考える。例えばパリやヨーロッパは「古い街」だという認識だったが、それが少し崩れた。確かに歴史は古く建物も街も古いまま残っているかが、果たして住んでいる人間の文化・民族的にはどうであろう。祭り、儀式、アミニズム、、、むしろ逆かも知れない。(祭式化)

 

 それはさらに、以下のように変奏されている。やや長くなるが、クロソウスキーはこんなふうに述べていた。すなわち、この画家であり社会学者である日本人は、パリの仲間や先輩たちが、呪術・生け贄・聖なる遊び・通過儀礼の仮面などについて、しばしば議論するのを聞いていたのだが、これらの人々ははたして、こうした言葉に隠されている非芸術的な実践のもたらす効果を、ほんとうに実感したことがあっただろうか。岡本太郎はその出自によってだけでなく、その日常的な環境によって、また、日々の工業化にもかかわらず、深く祭式化されている社会に固有の情念を負わされて幼年期を送ったがゆえに、その血のなかに、思考や感情の習慣のなかに、社会学者・民俗学者精神分析学者となることを可能にし、あるいは強制したものがすでに宿されてある。それにたいして、われわれ西洋人の場合には、逆に、それらが絶滅してしまったことそれ自体が、社会学者・民俗学者精神分析学者となることを可能にし、あるいは強制したのである――、と。西欧社会そのものに向けての深い内省に裏打ちされた言葉が、静かに響いている気がする。

岡本太郎の見た日本』p108

 

日本は、比較的古い昔のものが、比較的多くのこっている社会である。だから、自己のうちに原始、古代を発見する利点がある。しかしそのような過去が現在の自己の社会の中に欠落しているか、または生き残っている度合いの非常に薄い社会では、原始や古代をしろうとすれば自己の属する社会の外に出て探すよりほかない。西洋で発達したエスノロジーが、未開社会の文化型を外側からしろうとする方法であるのに対して、柳田民俗学が、それを内側からとらえようとする学問であるというちがいは、一つには、そのような社会の歴史的な発展のちがいによるのであろう。(鶴見和子「われらのうちなる原始人」)

岡本太郎の見た日本』p109

 

西欧的な動物性

 ものは合理化され、もののエネルギーは人間のための、人間の役に立つ、という方向でだけ、文字通り受け容れられているのである。そこでは人間との矛盾、相剋の面が切捨てられ、人間の絶対的な対決がうすめられる。はぐらかされる。オブジェ(もの)、社会、人間の―いわば三角関係の―主体的な対決が切捨てられると、抽象的な物質、概念的な社会へのオプティミスムがあらわれる。

動物的な天衣無縫さ―たえず物質とかかわりながらも、環境を、役に立つ道具と、それ以外の、厄介ではあっても精神的には痛くも痒くもない自然とに帰してしまう、動物的な楽天主義。(岡本太郎「レジェ作品のオプティミスム」)

岡本太郎の見た日本』p115

 

 相剋=対立・矛盾する二つのものが互いに相手に勝とうと争うこと。

オプティミスム=楽天主義

 

アニミズム

ヨーロッパではキリスト教の激しい一元論的な神によって、民族の、土地の古い神々は根こそぎ退治されてしまった。その血の統制をぬって、悪魔に化身し、暗い生命力をもり返そうとする。そういう断絶はわが国では見ることがない。それは日本人の自然にそなわった寛容さであろうか。いずれにしてもすべてアニミズム的世界に同居してしまうのである。(岡本太郎

岡本太郎の見た日本』p172

 

おわりに

 太郎が望んでいたのは、いま・そこに横たわる国境に縛られることなく、もっと広々とひらかれた意識をもって、過去、そして現在の、この列島に生きるわれわれの本来のありようを眺めわたすことであり、それ以外ではなかった。いわば、太郎ひとりはいつだって、正しさや確からしさを競い合う知の現場(あるいは、知のゲームか・・・)からは遠く、見えない知の呪縛をほどくためにのみ闘っていたのではなかったか。

岡本太郎の見た日本』p361

 

  上記のおわりに書かれた赤坂氏の慕う言葉が「岡本太郎が見た日本」「日本を見た岡本太郎」をひとまず総括しているように感じつつ、とりあえず、この本を読んで、岡本太郎は単に、芸術家ゆえに鋭い感覚を持った男。ということでだけはなく、パリ時代からしっかりと民俗学を学んでいたということを知った。何度も読み直している『沖縄文化論』の視点のすごさは、太郎のものすごい直感とその根底に身についた知識と両方とを持って見られたものだったわけだ。

 もう二冊。『日本再発見』『神秘日本』は去年やっと文庫本されたばかりなのだろうか?みかけたことがなかった気がするのでそうなのかもしれない。読まねばなるまい。