街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

通天閣 第一章「ジャンジャン町パサージュ論」

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しかし、このような短期的利潤取得への動機が強かったからこそ、というようり厳密にいえば、長期にわたる人間の教育やそのための装置の構築などには興味をもたなかったからこそ、大土地の動きは、もともと当該の土地あるいは空間性がはらんでいた潜在的傾向性に追随することを選ばざるをえなかった。ルナパークは、初手から装置の破綻を運命づけられていたのである。

酒井隆史 『通天閣』第一章 p154-155

  2週目の『通天閣』今度はじっくり読めている。上記が一章「ジャンジャン町パサージュ論」のまとめといえる部分だろう。言わば面白い町をつくろうと思わなかったからこそ、面白い町ができあがった!という歴史、及びその概念は、やはり面白く、もちろん町の成り立ちだけに留まらず、いろいろな場面においてひとつのヒントになりそう。

 じっくりと読んでいくとこの一章だけでもたくさんの登場人物がでてくる。出たりひっこんだり、あちらでやらかしたり、やらかしたことが次の事件につながり~そうやって町ができていく。次第に本を覗く自分が、なんだか雲の上からグーグルマップ的に新世界界隈を覗いている気分になってもくる。このあたりは社会学?というのだろうか、歴史学だろうか、深く研究している学者たちは、少し自分が神がかった気分になったりしないだろうか。雲から下界を覗いて、登場人物を動かしたり、時代を進めたり戻したり、、街づくりシュミレーションか。

 話を戻すと、はじめに「新世界」をつくった大土地(大阪土地建物株式会社・土居通夫、高倉藤平、宮崎敬介)の目的が、街づくり、というよりもいわば単なるカネ儲け目当てのものであったがために、ぴしっとした「ユートピア」など生まれず、ほころびまくりながらズルズルと町はゆき、そのほころび目をねらって排除されたはずの者たちが逆流し、好き勝手に理想も計画もなく形作っていった街。そのいびつさとパワー。それが新世界。新しい世界であった。