街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

まつろわぬ民

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宮崎 話がどうも脱線してますが、僕は、日本の自然保護の方法というのは、全ての山川を神社にしてしまうしかないんじゃないかと思う(笑)。

 「この山は御神体だ」とか、白神山中は、「あの山こと神のいます場所だ。そこをお前らは穢すのか、七代祟るぞ」(笑)とか

 「あそこのばーさんが早死にしたのは、木を伐ったからだ」とか言えば、なんとなとなく分かる(笑)。

 そういうような部分を日本人は、いまだに残しているのですよ。

 日本人がメチャメチャにしたこの風土を変えさせる、いちばん大きな根っこというのは、「人間にとっては緑が必要だから残しましょう」という利己的、西洋的な考え方ではなくて、「清浄な所を穢してはいけないのではないか」という思考と結びつくような考え方です。

もののけ姫を読み解く』p78 「森と人間」

 

 白崎映美インタビューが良かったので、急にひっぱりだしてきたもののけ姫の本。やはりここにも蝦夷はもちろん「服(まつろ)わぬ民」という単語は登場する。「支配されない、迎合しない」民というキーワード。サンカ・サンガの本も読まねば。

 そしてインタビュー中のこの下り、岡本太郎の本でもポイントとして記していたことを思い出し記録。ほとんど同じ洞察と考える。

 日本の得意な「アニメ」がアニミズムの「アニマ」と同じ語源であることに改めてはっとし、急速に合点するわけだが、八百万の神なり、神道なり、我々が今も内に持っている言わば闇の部分をあらためて見つめ大事にすべきかもしれない。比較して西洋には教会があるだろうとは思うが、また一神教多神教の違いも大きいだろうし、あの天使のイメージには悪魔が表裏で隠れている感じがとても強く、日本の鬼とは(蝦夷、土蜘蛛の説はまた改めて読みたい)=正義と悪ですっぱり割り切れるような存在ではない。

 

「アメリカ映画に限らないのですが、ヨーロッパからはいってくるファンタジーがありますが、光と闇が戦っていつも光が善なのです。悪い闇がのさばってくるのを、光の側の人間がそれを退治する。それと同じ考えが日本をむしばんでいると思います。」

「森と闇が強い時代には、光は光明そのものだったのでしょうね。でも、人間の方が強くなって光ばかりになると、闇もたいせつなんだと気がつくわけです。私は闇のほうにちょっと味方をしたくなっているのですが。」

もののけ姫を読み解く』p164 「思想の物語」