4.23 「きれいな女の人が
「きれいな女の人が座っていた。」
文字や言葉だとただそう書けばいいのであって、「きれいな女の人」なりどんな風で座ってたかやなんかはこちら側がいくらでもイメージできる。きれいな女の人はどこまでもきれいな女の人だ。しかしながら映像となると、そこに「きれいな女の人」を立たせておかねばならない。それはもうそこに用意されてしまっているから、考えるとすごくつまらない。
というのも落語の面白さを考えていたから、そのように例えば、本と映画みたいな比であれこれめぐらしていた。演劇やなんかともやっぱり違うわけで、演劇なら「きれいな女の人」はきれいな女の人が演じるのでやはり映画と一緒だが、落語ではきたないおじさんがきれいな女の人を演じるところに面白さがあるわけで、(そういう面でも女性の噺家が少ないのだと思う。)、なんというかとても文学的であるし、こちらの想像をいくらでもふくらまして、笑わせたり泣かせたり、してくれる本当に特殊な芸?であると思う。もちろん女形という意味だけでなく、風景、空間、小物、、いくらでも広がる、演じて魅せながらも、イメージを限定しないという高度な表現だ。
歌はどうだろうか