街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

大阪モダン

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橋爪紳也 『大阪モダン』 1996

 

 あとがきも近い最後のほうに、「しかしビルの谷間をジェットコースターが駆け抜けてゆくという、じつに奇抜な複合施設が、まもなく完成する。加えて天然温泉も掘りあてられたそうだ。(p210)」とある。そう、この本がでたのは1996年で、その翌年にオープンするのがフェスティバルゲートである。今では過去となったオープン後のことを考えると、この未来系で書かれている文章がなんとも哀愁があって印象に残ってしまう。(※酒井隆史通天閣』のラストはこの本のこの未来への返答に読める。)

 今朝本を読み終え、フェスティバルゲートを調べてみよう。そう思ってた矢先にさっき、大阪出身の香取さんがお店に来ていたので、新世界の話をなにげに聞いてみたら、そのフェスティバルゲートの中にあったブリッジというハコで、面白いイベントや、FBI(フェスティバル・ビヨンド・イノセンス)というフェス?があって参加していたことを聞かせてもらった。なんというタイミング。単なる(?)遊園地じゃなかったんだ。興味がわいた。

 少し調べてみると面白いのは、元はレストランだった場所をオルタナティブスペースとして若者らが使っていたということで、つまりは元々は「単なる遊園地」だったのを、「占拠」して別の生きた空間に変えてしまっていたという状況は正に、新世界の歴史そのものである。最上階に位置し窓からジェットコースターが見えた「新世界ブリッジ」で行われていたカオスなイベント写真を見る限り、元の「空中展望レストラン」の面影は薄く、整然さをぶっ壊した先の輝き、大人の秘密基地感がムンムンしててそそる。これが大阪のパワーか。

 例えば廃墟となった那覇タワーの最上階をオルタナティブスペースとして使っていたか、使わせようとしたかということを考える。『がめつい奴』という釜ヶ崎の映画があるらしいが、大阪の「がめつさ」か。

新世界に、それが排除したあるいは抑圧した異質な「前近代的」要素が、ジャンジャン町という「腸管」をたどって当の新世界に逆流して復讐をとげる、というイメージは鮮烈きわまりない。ここが私たちの出発点である。】

酒井隆史通天閣』P162 注釈より