街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

冷却

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 VJ企画の外タレライブがことごとくキャンセルになっている件に部外者ながら憤りを感じているが、そこから、インターネットの無い時代にも同じことが起きていただろうかちょっと想像膨らませてみる。例えばライブ会場でキャンセルが告げられるとしよう。集まっているお客さんは、その理由が不条理な場合(不条理じゃなくても、では無いのは日本的なつつましさかも)、怒りのパワーを増大させ、暴動になるかもしれない、きっと主催者に大勢で詰めかけるだろう。その群衆の結束した力はなによりも強力だし脅威だろうから、「悪者」は下手なことはできなかったはずだ。

 インターネットがある現代に戻る。怒り、そしていわば民衆のパワーを凝縮するような場所をさがしてみるが、段々とその場所は消されていっているはずだ。そんな個人の小さなパワーを交わせる場所はせいぜいSNSの中だろうか。2ちゃんねるくらいか。しかしそれは悪者を正すような結束した実際の熱に、動きにはなりにくいはずだ。個人は個人で分断されていっている。されているというか自らそうなるよう進んでいる。ひたすらシカトしてほとぼり醒めれば済むなんて考え、まるで政治家か。と思うが政治の世界への対抗にもまったく一緒なんじゃないだろうか。デモ、共謀罪。 

 ちょうど読み返していた釜ヶ崎の歴史と現在を説いた原口剛『叫びの都市』(2016)の記述ともこの状況は正に重なり、群れない群れる場所を持たない、いわば熱の冷めた現代の個人・民衆の生きる姿がさらに明確になる。

 釜ヶ崎とは、使い勝手の良い労働力を寄せ集めるべく、産業資本の要請によって生み出された空間である。しかし、釜ヶ崎という空間への労働者の凝集は、資本にとって厄介な集合的身体を生み出す種火ともなった。そこから、「寄り場」としての釜ヶ崎は生成したのである。『叫びの都市』 p352

  受動的な「寄せ場」だけでなく、労働者が自ら結束する「寄り場」であったという意味で、多くの労働者が生活する釜ヶ崎の喧騒は、情報の交換であり、団結するロープでもあったわけだ。その寄り場は近年解体させられつつあるが、実は根本的な問題は解決しておらず、ただ社会的に不可視化されたに過ぎず、「社会の総寄せ場」「釜ヶ崎の全国化」は確かに進んでいるように思う。ネットカフェ難民や派遣切りというキーワードを挙げればすぐに気づくように、リアルな寄せ場は縮小されたかわりに、貧困者たちはむしろ数を増やし全国に広がり、彼らはネットカフェに押し込められ、スマホの呼び鈴ひとつで狩り出される。ネットカフェの個室は個人個人にきれいに仕切られ、

 似たような境遇に置かれた者同士が群れと化すための物的条件を待たぬまま、かれらは「スムーズ」に流動させられる。『叫びの都市』 p351

  孤立し冷却され全ては他人事になっていく。