街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

鶴一

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「鶴一」

ホルモン屋。西成警察署前を南へ過ぎた十字路を右に曲がった萩之茶屋商店街にある。向かいはしばしば投石されたパチンコ屋日大会館。(中略)カウンターと椅子席のほか奥に小上がりの畳敷もある。

釜ヶ崎語彙集1972-1973』p136

 

 完全にイメージは「チエちゃん」・・・パチンコニチダイはまだ同じところにあるぽい調べると。鶴一はさすがにない。「鶴一、ホルモン」で検索すると鶴橋の店がでてくる。いや、それより、今の店がなんであれ、その場所にカタチが残ってる可能性はあるか・・・

 今読んでるまたニュー釜ーな本面白い。1972-73のレポ。あがたさんが強烈だったと回想してた第2回春一番が72年。あの時の街歩ける。

 

アニマ

どちらも日本を象徴するといえるアニミズム(アニマ)とアニメって似てるな。偶然かとおもったら全然そのままだった。

「animation(アニメーション)は、ラテン語で霊魂を意味するanima(アニマ)に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する[1]。」

日本に染み入るアニミズムと、日本が好きな得意な特異なアニメーションは別物じゃないのがわかって。なるほど。

 

 どれほど頼りなく無力に感じられるとしても、この時代には、すべてをアニミズム的な世界に溶かし込み、共存させてしまう、わたしたち自身の多神教的な精神風土と、そこに見え隠れしている寛容のモラルに学ぶ必要がある、とわたしは信じている。

岡本太郎の見た日本』p172

 

愛しのBサイド①

f:id:cdya:20160602180635j:imageシリーズ「愛しのBサイド」第一回目は、原みどり「LA LA LA」(1988)

 毎度ひとりで騒いでいる80sナイスシンガー原みどりの一曲。しかも年代的に一番好きな2ndアルバム『KO・KO・RO・NOTE』(1988)期アルバム未収録曲。しかし今改めてクレジット調べてみると編曲は椎名和夫となっているので、流れ・録音的には1st『Mido』(1987)とものと考えていいかもしれない。ちなみに『KO・KO・RO・NOTE』の編曲全てとサウンドプロデュースは幾見雅博という方でジャズギタリストのようだが、かなり気になる。セカンドのあのなんとも言えないあの年代の空気が好きすぎるので。似てる感触はシェリルリンの「IN THE NIGHT」(1981)だけど、そっちは一緒にやってるのがレイパーカーJr。ゴーストバスターズ。だからやっぱ原みどりってR&Bだと思うし、すぐに対比してでてくるCHARAが出てくるのはもうちょい後の90s、原みどりのソウルとキャッチーさはちょっと早すぎたのかもしれないと、現状みると思う。あとはユーミンの影か、、財津和夫とのデュオデビューも謎といえば謎である。ソロ最後となってしまう『アマロ・ジャバロと言えた日』(1989)でもう一度その「償いの日々」をひとりでカバーしてることを思うとなにかしら呪縛のようなものさえ感じてしまう。

 さてここでしか聞けないこの曲「LA LA LA」は伸びやかなボーカルと、アーバンポップな80s後期音色がやっぱり気持ちよい原みどりワールド!1stアルバムは9曲しか入ってないのに、もれたとしたらなんでなんだろ。何度も言ってますがスパンクハッピーより絶対ソロがいいす。

 シリーズ一回目にしてこの曲選んだのはやっぱアルバム未収録しかもCD化されてない!ということで、むちゃむちゃ好きで聞いてるアルバム、その同じ時期に実はまだ聞いてない曲があった!!という発見はやっぱすごい嬉しいワクワクさん。B面曲ていいよねー(いいよねー) 

 

原みどり 「LA LA LA」

作詞/作曲:原みどり 編曲:椎名和夫

7インチシングル『too young』B面にのみに収録。

※アルバム未収録 ※未CD化

グッドBサイド度数4 ☆☆☆☆★

 

怒りと憎しみ

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 マルコムは、憎しみを煽ったというのではなく、むしろ、黒人たちの自己や他者にむかう憎しみを怒りに変えたというべきです。この二つの感情はわかちがたくからまりあっているとはいえ、憎しみは状況総体や制度ではなく特定の人間や集団にむかいがちです。憎しみは、その感情をもたらす原因に遡り、根源的次元から根絶しようというのではなく、その結果であるもの―人間、集団―を排撃したり殲滅することでカタルシスをえるという行動をみちびく傾向を強く帯びた感情だとおもいます。それに対して、怒りは憎しみそのものを生みだしている、より広い条件にむかう、より思慮にひらかれた傾向があるようにおもわれるのです。権力はこの憎しみという感情のもつ傾向につけこみ活用します。(後略)

酒井隆史『暴力の哲学』河出文庫p57より

 『暴力の哲学』を読み返し始めています。ざっくりとこの本から、あ、怒っていいんだ。という気づきを得たと思います。日本人そしてきっと特に沖縄の人、さらに私自身は、怒るのが苦手な人たちだと思う。岡本太郎の『沖縄文化論』をまたここで思い出す。「美ら瘡(かさ)」の話。

  

沖縄には「美ら瘡」という面白い言葉がある。天然痘のことだ。近ごろは病気自体がなくなったので、あまり使われないようだが。

 どうして瘡が美しいのだろう。

 折口信夫はこれについて、

「病いといえども(他界からくる神だから)一おうは讃め迎え、快く送り出す習しになっていたのである。・・・海の彼岸より遠来するものは、必ず善美なるものとして受け容れるのが、大なり小なり、われわれに持ち伝えた信じ方であった。」

と報告している。

 適切な見方である。しかしそういう過ぎ去って行く神秘的なものに対する儀礼的な気分だけでは、この微妙な表現は解明しつくせない。もっと現実的な、一種のおそれをこめた弁証法的な表現がそこにある、と私は考えるのだ。

 災いとか伝染病を美称でよぶのは、なるほど、ひどく矛盾のようだが、しかしかつての島の人には切実な意味があったに違いない。複雑な心情である。

 外からくるものはいつも力としてやってきて、このモノトニーの世界に爪あとをのこす。それはよし悪しを抜きにして「貴重」なのである。だから畏れ敬って一おう無条件にむかえる。

 だが何といっても、これは天然痘なのだ。決して好ましい客ではない。この凶悪に対し、彼らは無防備なのである。卑しめたり、粗末に扱えばタタリがひどいだろう。なだめすかして、なるべくおとなしく引き取ってもらわなければならない。

 恐ろしいからこそ大事にする。人間が自然の気まぐれに対して無力であった時代、災禍をもたらす力は神聖視された。”凶なる神聖”である。それは”幸いなる神聖”と表裏である。幸と不幸とがどこで断絶し、連続しているか、それが誰にわかるというのだろう。近代市民のように功利的に、吉と凶、善と悪、まるで白と黒のように、きっちり色分けして判断し処理することはできない。幸いはそのまま災いに転じ、災いは不断に幸いに隣あわせしている。それはつねに転換し得る。

 強烈に反撥し、対決してうち勝つなんていう危険な方法よりも、うやまい、奉り、巧みに価値転換して敬遠して行く。無防備な生活者の知恵であった。

 私は現代沖縄の運命について考える。占領され、全島が基地化されている。ここはもはや沖縄であって沖縄ではない。当然それは民族にとっての言いようのない苦しみである。それは天然痘―もっと厄介である。残酷な実情について私たちはすでにいろいろ聞いている。反抗はもちろんある。たとえば先頃のアイク訪問の際、三十センチ間隔にずらりと着剣して構えたカービン銃の威嚇の前で、デモをかけた。そのような近代意識の上に立った政治行動は、現代沖縄の傷口の端的な叫びである。しかし、にもかかわらず多くの沖縄人の、あのやわらかい表情、運命的力に対して恭順に、無抵抗に見える態度の底には、チュラカサの伝統、災いをいんぎんに扱って送り出してしまうという、辛抱強い護身術が働いているのではないか。

岡本太郎『沖縄文化論』中公文庫p184-186より


 「美ら瘡」という受け入れ方は、哀れというよりもむしろたくましい、翻弄される運命を持った小さな島小さな国が、己のアイデンティティを守っていくために長年育んできた方法であり、我々の心の中に無意識に今も宿っているものだと思います。その沖縄の人たちが怒りを表す時。それがどういう場面なのか。他界の人たち、そして何より無意識な我々自身が、今一度知る必要がある気がします。

ノスタルジーの奥

 

6:48~

赤坂「日本がまだ貧しかった頃のイメージを、持っているかどうかということが、将来の自分たちの社会を作っていくデザインしていく時の、なんか大きな分かれ目になるような気がするんですね。」

これ震災前だかからねえ

 

 

たまらなくグッドバイ

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大津光央 たまらなくグッドバイ 2016

 やっと読了『たまらなくグッドバイ』!なんだろう、おしまいあたり、え??が連発、キウチさん色がやっぱりでてきて、唄ともつながって。しかし入り組んでいる分、確実にもう一度読み返したくなる本。刑事ドラマの聞き込み的、初めて読むような構成だった。山場ラストの内と外、音的な歓声と静寂のコントラスト流石。

 

ブッシュオブゴーストとラテンプレイボーイズ

TALKING HEADS

MORE SONGS ABOUT BUILDINGS AND FOOD (1978) pro:ENO

FEAR OF MUSIC (1979) pro:ENO

MY LIFE IN THE BUSH OF GHOSTS (1979-80) BYRNE+ENO

★REMAIN IN LIGHT (1980) pro:ENO

 

 

LOS LOBOS

KIKO (1992) pro:Mitchell Froom

LATIN PLAYBOYS (1994) David Hidalgo Louie Perez Mitchell Froom Tchad Blake

★COLOSSAL HEAD (1996) pro:Mithchell Froom Tchad Blake

DOSE (1999) David Hidalgo Louie Perez Mitchell Froom Tchad Blake

THIS TIME (1999) pro:Mithchell Froom Tchad Blake

 

 ENO-BYRNE名義の『ブッシュオブゴースト』やっぱり面白いなと思いつつ、ふと私の好きなラテンプレイボーイズと近いものを感じたので検証。『ブッシュオブゴースト』も『ラテンプレイボーイズ』も主要メンバーとプロデューサーとのバンド外活動である点。実験性。その後のバンド作品★(どちらも名作とされる)への影響。『ブッシュオブゴースト』はリリースは82年だが、録音は79-80年であったということでもかっちりはまった。