街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

2015-11-01から1ヶ月間の記事一覧

あいりんと釜ヶ崎

(1961年に起こった第一次暴動を端に大掛かりな釜ヶ崎対策が開始され、) 家族を釜ヶ崎から移転させる、その一方でひとり身の労働者を流入させる。すると当然ながら、釜ヶ崎はひとり身の男性労働者のまちへと塗り替えられていく。1960年代の釜ヶ崎は、いまと…

水木しげる

地図・メディアに描かれた釜ヶ崎

水内俊雄 『地図・メディアに描かれた釜ヶ崎 -大阪市西成区釜ヶ崎の批判的歴史地誌-』 http://kamamat.org/yomimono/ronbun/mizuuchi_jinbun53.pdf pdfで読めます。 釜ヶ崎と現在も呼ばれる場所へのイメージ。その街の成り立ち。 大島渚の『太陽の墓場』は…

大阪モダン

橋爪紳也 『大阪モダン』 1996 あとがきも近い最後のほうに、「しかしビルの谷間をジェットコースターが駆け抜けてゆくという、じつに奇抜な複合施設が、まもなく完成する。加えて天然温泉も掘りあてられたそうだ。(p210)」とある。そう、この本がでたのは19…

恵美須通り

通天閣から、放射状に北に向かって合邦通、玉水通、恵美須通の3本の通りは現存し、合邦通の名はそのまま、玉水通が春日通、恵美須通は通天閣本通商店街となった。市電、阪堺電車の駅から通天閣に至るこの通りが一番の目抜き通りだった。 「新世界」恵美須通…

今宮村

大阪今昔地図(?) 1908(明治41)年7月20日 大阪市街全図 明治41年大新版 1908(明治41)年5月6日再版発行 まだ新世界が無い。阪堺線も無い。天王寺支線(元は馬車鉄道?)、高野線って古いんだなあ。 リンク元 釜ヶ崎資料センター 資料室トップ

寄席はるあき

安藤鶴夫 / 金子桂三 『寄席はるあき』 1968-2006 季節と景色がある。 まだ新作に興味が無いのは、落語に求めてるのが、なにかしら大きな意味で「懐かしさ」というところが大きいからかもしれない。笑いたいから聞いているわけではない。話芸であるし、しか…

天才 勝新太郎

春日太一 『天才 勝新太郎』 2010 本人がとことん納得いくまでやったというフジテレビでの「座頭市物語」「新・座頭市」をみなければ。手元にあるのは釜ヶ崎の某所(今年行ったら無くなってた・・)で500円で買ったDVD「ど根性一代」、なかなか好きな映画だ…

潮風にちぎれて

松任谷由実 『潮風にちぎれて / 消灯飛行』 1977.5 いちばん好きなユーミンのシングル。と言ってしまいましょう。 結婚後、「松任谷」になっての第一弾シングル。AB面共にオリジナルアルバムには未収録。 「荒井」でのラストとなるひとつ前のアルバム『The 1…

通天閣

酒井隆史 『通天閣』 2011 頭が通天閣。 やっと読み終えた。734ページ。 参考文献だけで14ページある。芋づる式にいくつもさらに気になる本があるが、チェックするのに半年はかかるんでは。 感想とはいってもありすぎでそれ書くのにも半年・・・はかからない…

ジェントリフィケーション

引用したい部分がいくつもある。都市を見る上で大事な考え方がいくつも。 トークセッション 原口剛×酒井隆史 「大阪から考えるジェントリフィケーション 〜 都市は滅びるのか?」 感想・紹介 - Togetterまとめ 『通天閣』からの「ジェントリフィケーション」…

ムスタキ

「(自分にとって)ヒロシマの敗者が彼らの伝統と精神性を放棄しつつ、勝者の価値観に同調しているといったくらいの漠然とした小国でしかなかった。ヴィクトリア王朝的な厳格さ、馬鹿丁寧にぺこぺこすること、常に自制心を失わないこと、能率のよさ、何が何…

大阪市電天王寺車庫

酒井隆史『通天閣』P349より さらに元は宮本三郎『アナーキスト群像回想記』より 大正六年頃の新世界あたりを回想した手書きの地図に、知らない線路が。なんだろうはじめてみた。カスミ町駅?(南霞ではなく)至・北浜?現在の堺筋線みたいだが、関西本線と…

ジャンジャン横丁

新世界に、それが排除したあるいは抑圧した異質な「前近代的」要素が、ジャンジャン町という「腸管」をたどって当の新世界に逆流して復讐をとげる、というイメージは鮮烈きわまりない。ここが私たちの出発点である。 酒井隆史 『通天閣』P172 注釈より この…

噴泉浴場2

1913年新世界平面図 (酒井隆史『通天閣』P121) 昨夜の新世界・墳泉浴場の写真についての追記、訂正。 右に伸びる通りがジャンジャン横丁だと思っていましたが、上記平面図の建物の形をみる限り、この付け加えた矢印の向きに撮った写真かと思われます。この…

新世界噴泉浴場

新世界資料集 新世界温泉浴場 文字まで読めないが紅白に飾られてるところをみると、オープン時だろうか。そうであれば1913年(大正2)6月。この記念門をくぐって右へと伸びる筋が現ジャンジャン横丁だと思われる。提灯がかかった建物に看板の「すし十五銭?」…

バブル文化論

原宏之 『バブル文化論』 2006 80年代が気になるのはもちろんその年代の音楽への興味から始まったもので、1975年生まれの私(ここでいう真性団塊ジュニア世代)には、近くて遠い、確かにそこに居たんだけどよくわからない時代という未知への興味である。 読ん…