街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

浅草十二階

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細馬宏通 『浅草十二階』 2011

 

 結局一番私が目を輝かせたのは別日記に書いた、序文的な大阪についての話だった。だけだった。風船の話、仁丹塔も楽しかったが、やっぱり、、、この著者の視点が私の見たいとことはずれている気がして、細かく(しかも執拗に)迫るのはそこなのかぁ・・・という箇所がひたすら続いた本であった。この気配はだいぶ以前、ドミューンで氏が『うたのしくみ』に関連してユーミンの何かの歌についてだったか、迫っていた時にすでに感じていたことだったので、やっぱりそっかーという今回の読後の感想。本の半分くらいが凌雲閣というより「パノラマ」についての話だったのもあったし、あまりわくわくしなかった。

キタの九階、ミナミの五階

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 そろそろ通天閣を離れようと読み始めた『浅草十二階』。序章22ページ目にして大阪へ戻される(笑)

 元祖「凌雲閣」は大阪のキタにあった。浅草十二階よりほんの少し前、今の茶屋町あたりに「九階」建ての楼閣が、更にそれよりさらに少し前には日本橋に「五階」。エッフェル塔とほぼ同時期の高閣ブーム明治20年代頭。大阪。初代通天閣より20年ほども前だ。

 しかし今の日本橋電気街といえばその頃は例の名護町(長町)があった場所。そんなスラム街に五階とは言え当時の最先端の高楼が建っていたというのはちょっと想像してなかった。非常に興味深い。一体どんな町だったのだろう。

 「眺望閣は1904年(明治37年)ごろに、凌雲閣も昭和初期に取壊され現存しない。」ということを考えると、初代通天閣(1912年)は、ミナミの塔として眺望閣の存在を継いでるように思えてくる。いろいろな通天閣に関する本を読んだが、先にあった眺望閣のことについて触れているものはなかったような。

 

眺望閣 ミナミの五階 1888年(明治21) 

凌雲閣 キタの九階 1889年(明治22)

浅草・凌雲閣 浅草十二階 1890年(明治23) 

 

「眺望閣」と「凌雲閣」  大阪NOREN百年会 瓦版 第2号

現代思想 大阪

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現代思想 2012.5 特集大阪
 
黒不浄 赤不浄
中沢新一 「アースダイバー的大阪の原理」
 
  天使
万博、それは二十一世紀の現在からしたら、いわば過去に描かれた未来として回顧される。やはりわたしたちは未来のおわったあと生まれてきたのである。たしかに幼いころ長瀬川は両ワキに化学的な廃水をしたがえた三色川であったし、農業用水路のフナは背骨が屈曲した奇形、必死でみつけたドジョウを連れてかえろうにもほどなく死んでしまう――なまものである都市は、たしかに七〇年代末すでに腐敗したかのようだった。ならば太陽の塔とは、あの物質的なフォルムをもって忌まわしき記憶と不気味な予感とを置き去りにして巨大な構造転換を告げるために来た、新しい天使ではなかっただろうか?
 ベンヤミンが「歴史哲学テーゼ」においてパウル・クレーに見出した、あの天使である。
 (櫻田和也ポストモダン都市における唯物論詩学・試論」P215-216)

 酒井隆史通天閣』周辺で度々目にしていたベンヤミンという人については全然わかっていなかったが、クレーの「新しい天使」を調べたら、なるほどそういうことかとつながった。さらに思い出すのはウディアレンの映画「ミッドナイト・イン・パリ」。あれも1920年代で、憧れの20年代にタイムスリップして喜んでいたら、当時の人々はひたすらさらに過去へ憧れていたとういうような内容、どっかの古代の壁画に「最近の若者は!」と書かれていたというそういうアレである。一体いつがいい時代なのか。

 太陽の塔が、アンチ万博を意味していたという岡本太郎の企みを知ったのは何であったのか思い出そうとしてるが・・・田口さんのレコード寄席、万博特集だったかもしれない。あの時同時に「人間の想像のピークは60年代だったんじゃないか」という発言がとても記憶に残っている。

 新世界の元になる第五回内国勧業博覧会(1903年)そして大阪万博(1970年)、このような博覧会の表向きとは逆にのびる、、というか表向きが華やかだからこそできる見える影、、の部分、注目すべきかもしれない。2020年には東京オリンピックがある。

 

 

  第五回内国勧業博覧会は、空間的理念の表現として、明るさと高さをもっていた。それはまず、日本ではじめてイルミネーションに彩られた「電気の博覧会」であった。評判をよんだ夜間開催は、昼も夜も不在である抽象的時間の浸透をしるしづけている。(~中略~)

 絶対王政期に街灯がもうけられたパリでは、大革命からパリコミューンにいたるまで、民衆蜂起と街灯破壊は不可分だったはなしは有名だ。闇の奪還は、戦略上も生活上も、一つの民衆的要求項目だったのだ。

 (酒井隆史+マニュエル・ヤン「歴史の亀裂を遊歩する山猫たち」p187)

  こういう『通天閣』への解説・注釈を読み咀嚼すると、なぜ私が新世界や釜ヶ崎にひきつけられるのか、少し見えてきたような気がする。しかし「闇の奪還」とは素敵な。すぐに妖怪を思い出した。この中でノスタルジーという概念にも触れているが、きりの無いように思える懐古主義のループの中でも「闇が闇だった時代」という表現が好きだ。

座敷わらし考

 

 

民衆と民間経営者と阪急の微妙なまぜこぜの力が「民都」の力となり、「公都」と相乗的にせめぎあい、経済的に「商都」「工都」として成長し、さまざまな移民を受け入れて行った「移民都」として、社会的に大きくなっていったというのが大阪の特徴ではないでしょうか。

 (水内俊雄 「公的」大阪の制度疲労と、新たな「民都」の創造 p243)

 

 

 この現代思想の大阪特集、今『通天閣』を読んでいますというお店の常連さんが存在を教えてくれて感謝。「文学界2012.7」の対談とあわせて、酒井隆史通天閣』を紐解く1冊かと思う。『通天閣』もう一度読み返さないとなあと思い始めている。

人生の道しるべ

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宮本輝 吉本ばなな 『人生の道しるべ』 2015
 
家にあった本をパラッと。途中あれーなんか世間話ーとか思ったりもしたが後半あたり「生死」感についての話は興味深く、不意にひとつ前に読んだ『星々の輝き』と大きくつながる体験も知って、なるほどそこは実体験だったのかと。吉本ばななの本はまだほとんど読んだことがない。
 

星々の悲しみ

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宮本輝 「星々の悲しみ」 1981
 
 宮本輝を読むのは2冊目。また続けてなにか読みたいと思える。このずーんとくる余韻にはまってしまうのだろうか。この短編集の中でも、じりじりとした夏の熱が残る「西瓜トラック」が印象的。どこかしらに些細な実体験からの描写が入ってるのかもとは思うが、どれもリアリティある日常をもっている文章が鮮明ですごいなと思う。
 

SHINE ALL AROUND

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01 雨の夜のバスから見える
02 SHINE ALL AROUND
03 ありふれたジャンパー
04 そこに座ろうか
05 愛したから
06 24時間営業のとんかつ屋
07 どうして男は
08 ともしび商店街
09 サイボーグの渋谷、冬
10 帰省
11 I Like You
12 小さな公園
13 Girl Like You
14 倒れかけた夜に
15 Tokyo-Osaka-San Francisco
16 また朝が来るなんて

【 CD 】 WEATHER 069 / UNKNOWNMIX 41 / HEADZ 211 / 2015.12.30 /

「豊饒ではじしらず」

 このアルバムのレビューを書くために、最近ずっと読んでいた大阪の通天閣釜ヶ崎についての本をまた広げていた。どうしても本の中のどこかに豊田道倫について書いてあったようなそんな気がして・・・

 「豊饒ではじしらず」とは新世界から飛田方面へとつながる裏通りジャンジャン町を形容した言葉であるが、そもそもジャンジャンとはその狭い通りにぎゅうぎゅうと半ば不法に店をかまえた酌人たちがかきならす三味線のやかましさから取ったものだという説からもいよいよロック的で、「独自の運動法則の元で生々しく脈打つ」「特殊」で「異例」なこの通りはそれ故にその「冒涜性がいろいろないかがわしさを惹きよせる磁場とな」り、どこにもない強烈な魅力を放っている。他にも「猥雑で乱雑」「無秩序の中の秩序」など広げて大阪の街を形容する言葉を見つけるにつれ、なにやら豊田道倫の音楽とシンクロしていくようで。

 デビュー20周年ということは大阪を離れてほぼ20年ということであり、しばらくは大阪出身と言われなければわからないほど、東京の、新宿の男であった豊田道倫が、実はずっと大阪を鳴らしていたとしたらどうだろう。あの圧倒的熱量で生々しくジャンジャンとギターをかき鳴らすステージ上の姿を思い出す。

 文学に対して音楽には賞が少なすぎると昨今考えていたことろだが、ずっと飛びたいからあえて低空飛行を続けているこの無頼派ロックシンガーにあえて今回、アルバムのひとつの核となろう「帰省」という歌になにか賞を贈りたいという思いが聞くたびに込み上げる。それほどこの歌は太く、聞く人を黙らせるほどの告白と表現をもつ、誰にも書けない男の、歌だ。

 「帰省」。20年経って、豊田道倫は大阪に帰ってきた。たくさんの仲間を連れて。たったひとりの息子を連れて。『SHINE ALL AROUND』はそんな姿が浮かぶ予想以上にちゃんと20周年記念な安堵と感謝と挑戦のアルバムで、ロックンロールの後に残る余韻はいつも以上に優しい。

 よりによって記念作に「豊饒ではじしらず」はさてどうだろうと思いとどまったその先の、じゃあ「はじしらず」とは何か?というグーグル検索。一番トップにでたのが壇蜜だった。「はじしらず」というタイトルの本を出していた。これは!と思ったのは言うまでもなくその延長が上記のレビューである。

豊田さん20周年おめでとうございます。また大阪で会いましょう。

通天閣

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 暑さが和らいだくらいからだっただろうか、急に本を読まねば!と思い立ち続けざまに、しかも通天閣~新世界~釜ヶ崎あたりのモノを集中して読んだ。さすがにちょっと息切れ気味でまだ数冊読んでないものあるが。

 初代通天閣、ルナパークが開業した大正初期の新世界、ここにこんな映画館があったとか、入り口にインド人もぎりがいたとか、「美人探検館」のナゾとか、、、単純に新世界の様子成り立ちを知るには橋爪紳也『大阪モダン』(1996)がおすすめ。氏は『大阪新名所 新世界・通天閣写真帖 復刻版』の監修も行っている方で、並べた本の中でも新世界の、大阪の街を考察する草分け的存在の方だと思われる。地図的に。

 対して文字的に。ほぼ同じ頃に書かれていた橋本寛之『都市大阪 文学の風景』(2002)通天閣からさらに視点を広げ、大阪の街を、考察していく読み取ろうとしていくこちらもオススメの書。こちらは例えば新世界なら新世界の、その土地を描いた小説の文章をいくつも抜粋し集め、その表現をもって多方向からスポットライトあてることで、その土地の匂いや特徴を浮き彫りにしていくような書き方で、そこには昔の写真や地図では読めない心情的面白さ発見がある。

 さらにこの『都市大阪 文学の風景』を元にしてると思われる、酒井隆史通天閣』(2011)は圧倒的その存在感からしても、もう途中何の本読んでいるかわからなくなって何度か断念しようと思ったくらいの迷路的でやたらありあまる熱量、というそれ自体が通天閣釜ヶ崎のあの地域を体現しているかのような、、、宮崎駿風立ちぬ』手法か・・・ しかしこの強烈な本を中でも一番最初に読んだことがきっかけで、上記の2冊を含む14ページに及ぶ参考文献を手にしてみようと思えたことは順序的によかったのかもしれない。

 まだ欲しくても手にできてないのは市販じゃないやつ。『通天閣 30年の歩み』『通天閣 50年の歩み』あたり。今度大阪行ったときに探せるだろうか。しかし3年前の2012年が通天閣、新世界ができてちょうど100年目だったのです。その次の年、私は始めて通天閣に登った。

 

飛田ホテル

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黒岩重吾 『飛田ホテル』 1971

 

 なかなか探せなくてやっと見つけ、読んだ。出てくるのは飛田、釜ヶ崎、天王寺・・・あのあたりを舞台とした男と女のミステリー?何かしら過去を背負っている女性が中心となる物語だが、なんというか読んだ後の残り香としては、残るのはどっちかというと男性の香りのような、そういうテイストだった気がする。男の読み物ってことだろうか。姉妹だったり障害だったり、マロニエ堂の歌を時折思い出した。

 そう、この本を探していたのは、豊田さんが好きな本として挙げていたから。もう無くなってしまったんだろう、この3月には探せなくなってた萩之茶屋近辺の古本屋でこんな文庫本並んでいたような、並んでる様はしっくりくるな。

都市大阪 文学の風景

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橋本寛之 『都市大阪 文学の風景』 2002

 

 通天閣、新世界、釜ヶ崎の本を読み始めて何冊目だろう。簡潔ながらも深くいい本であった。これがひとつの起源とでも言えるような。確かに酒井隆史通天閣』の中でジャンジャン横丁に関する重要なイメージを「卓抜」と形容して本書から引用しているが、『通天閣』はこの橋本氏の本を種に膨らませて書かれたものとみてよさそうである。

 書き直しのような少し重複する二部構成になっているが、第一部で取り上げられている大阪を舞台にした作品は大まかに、織田作之助夫婦善哉』、開高健『日本三文オペラ』、宮本輝『泥の河』である。これらの「小説」を軸にして大阪の街を検証していく本であるが、手がかりとなる別の書も次から次へとでてきて、しかも文学だけでなく地理的な知識も豊富で、読み応えがある。

 他にはどんな本を書かれているのか気になって調べてみるが、なんとこの一冊しか出てこない。プロフィールから計算するとこの本がでた2002年には69歳ということになる。これが最初で最後の書ということだろうか・・・それならば惜しいものがある。