街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

同時進行インマイヘッド

2/27 雨

22:30~ チェロマイクケーブル

on 80s トクメイザルドス コロネ ~26:00

 

2/28 快晴! 店不在

12:00~18:00 48PAN よんぱちマーケット

よなきさん、サンボンガワさん、きらきらさん、ちらし寿司、団子、桃

19:00~21:30 ギターパンダ 柏屋食堂 ドラムこうすけ

22:00 ジュンク堂

22:00~ 桜坂劇場 委託ドーナツ盤受け取り

 

2/29 

ジュンク堂音楽フェアー用、ドーナツ盤再納品準備

近年まれに見るバタバタ、作業に思いのほか時間かかりあせりまくる。

20時予定を21時に変更してもらって、なんとか納品。~23:00

 

3/1 天気

10:30~ カフェユニゾン

4月あがたさんライブ 機材チェック

12:30~ お店

 

3/2

あがたさん4月フライヤーやりとり。(感謝)

23:30あたりに発注・入稿まで完了

 

3/3 晴れ

朝、浦添市役所 →確定申告準備

あがたさん4月フライヤーページ調整、拡散。

ジュンク堂、再納品の件 →3/8?

ジェットウォンCD

 

3/4 晴れ

カニコーセンまで一週間

引き続きジュンク堂再納品の件

NEW 4/8DJ

 

火星温泉録

火星温泉の老舗「旅館ポコポコ」もだいぶ寂れちまったなあ。

 

 こっちの「旅館チャカポコ」は2号店ながら大門が近いのもあって比較的賑やか。観覧車風呂ももうそんなに目新しいものではなくなたけど、まだその巨大な姿は遠くからも目立ってる。ここの地下の売店にある火星饅がうまい。

 

 なんでこの地下街だけバオバブがこんなに育ってるのかは謎。肥料の問題?階段だと思ったらトリックだったり徳利だったりで最初来たときは戸惑ったが、いつもいいにおいしてるし、変に落ち着く。ご存知「ストロベリー」というレコ屋がある。満月定休。

浅草十二階

f:id:cdya:20160216203648j:image

細馬宏通 『浅草十二階』 2011

 

 結局一番私が目を輝かせたのは別日記に書いた、序文的な大阪についての話だった。だけだった。風船の話、仁丹塔も楽しかったが、やっぱり、、、この著者の視点が私の見たいとことはずれている気がして、細かく(しかも執拗に)迫るのはそこなのかぁ・・・という箇所がひたすら続いた本であった。この気配はだいぶ以前、ドミューンで氏が『うたのしくみ』に関連してユーミンの何かの歌についてだったか、迫っていた時にすでに感じていたことだったので、やっぱりそっかーという今回の読後の感想。本の半分くらいが凌雲閣というより「パノラマ」についての話だったのもあったし、あまりわくわくしなかった。

ミゲラ

f:id:cdya:20160212114430j:image

ずっと聞いてる1986オメガトライブのカルロスロシキは日系ブラジル人。

ふと見かけ見入った日本を撮ってる韓国の梁丞佑。

帰ったら台所で鳴ってた港町神戸のジェットウォン。

そして見たこと無い花の名前はミゲラ。

昨日はそんな日だった。

キタの九階、ミナミの五階

f:id:cdya:20160202201221j:image

 そろそろ通天閣を離れようと読み始めた『浅草十二階』。序章22ページ目にして大阪へ戻される(笑)

 元祖「凌雲閣」は大阪のキタにあった。浅草十二階よりほんの少し前、今の茶屋町あたりに「九階」建ての楼閣が、更にそれよりさらに少し前には日本橋に「五階」。エッフェル塔とほぼ同時期の高閣ブーム明治20年代頭。大阪。初代通天閣より20年ほども前だ。

 しかし今の日本橋電気街といえばその頃は例の名護町(長町)があった場所。そんなスラム街に五階とは言え当時の最先端の高楼が建っていたというのはちょっと想像してなかった。非常に興味深い。一体どんな町だったのだろう。

 「眺望閣は1904年(明治37年)ごろに、凌雲閣も昭和初期に取壊され現存しない。」ということを考えると、初代通天閣(1912年)は、ミナミの塔として眺望閣の存在を継いでるように思えてくる。いろいろな通天閣に関する本を読んだが、先にあった眺望閣のことについて触れているものはなかったような。

 

眺望閣 ミナミの五階 1888年(明治21) 

凌雲閣 キタの九階 1889年(明治22)

浅草・凌雲閣 浅草十二階 1890年(明治23) 

 

「眺望閣」と「凌雲閣」  大阪NOREN百年会 瓦版 第2号

現代思想 大阪

f:id:cdya:20160130153536j:image

現代思想 2012.5 特集大阪
 
黒不浄 赤不浄
中沢新一 「アースダイバー的大阪の原理」
 
  天使
万博、それは二十一世紀の現在からしたら、いわば過去に描かれた未来として回顧される。やはりわたしたちは未来のおわったあと生まれてきたのである。たしかに幼いころ長瀬川は両ワキに化学的な廃水をしたがえた三色川であったし、農業用水路のフナは背骨が屈曲した奇形、必死でみつけたドジョウを連れてかえろうにもほどなく死んでしまう――なまものである都市は、たしかに七〇年代末すでに腐敗したかのようだった。ならば太陽の塔とは、あの物質的なフォルムをもって忌まわしき記憶と不気味な予感とを置き去りにして巨大な構造転換を告げるために来た、新しい天使ではなかっただろうか?
 ベンヤミンが「歴史哲学テーゼ」においてパウル・クレーに見出した、あの天使である。
 (櫻田和也ポストモダン都市における唯物論詩学・試論」P215-216)

 酒井隆史通天閣』周辺で度々目にしていたベンヤミンという人については全然わかっていなかったが、クレーの「新しい天使」を調べたら、なるほどそういうことかとつながった。さらに思い出すのはウディアレンの映画「ミッドナイト・イン・パリ」。あれも1920年代で、憧れの20年代にタイムスリップして喜んでいたら、当時の人々はひたすらさらに過去へ憧れていたとういうような内容、どっかの古代の壁画に「最近の若者は!」と書かれていたというそういうアレである。一体いつがいい時代なのか。

 太陽の塔が、アンチ万博を意味していたという岡本太郎の企みを知ったのは何であったのか思い出そうとしてるが・・・田口さんのレコード寄席、万博特集だったかもしれない。あの時同時に「人間の想像のピークは60年代だったんじゃないか」という発言がとても記憶に残っている。

 新世界の元になる第五回内国勧業博覧会(1903年)そして大阪万博(1970年)、このような博覧会の表向きとは逆にのびる、、というか表向きが華やかだからこそできる見える影、、の部分、注目すべきかもしれない。2020年には東京オリンピックがある。

 

 

  第五回内国勧業博覧会は、空間的理念の表現として、明るさと高さをもっていた。それはまず、日本ではじめてイルミネーションに彩られた「電気の博覧会」であった。評判をよんだ夜間開催は、昼も夜も不在である抽象的時間の浸透をしるしづけている。(~中略~)

 絶対王政期に街灯がもうけられたパリでは、大革命からパリコミューンにいたるまで、民衆蜂起と街灯破壊は不可分だったはなしは有名だ。闇の奪還は、戦略上も生活上も、一つの民衆的要求項目だったのだ。

 (酒井隆史+マニュエル・ヤン「歴史の亀裂を遊歩する山猫たち」p187)

  こういう『通天閣』への解説・注釈を読み咀嚼すると、なぜ私が新世界や釜ヶ崎にひきつけられるのか、少し見えてきたような気がする。しかし「闇の奪還」とは素敵な。すぐに妖怪を思い出した。この中でノスタルジーという概念にも触れているが、きりの無いように思える懐古主義のループの中でも「闇が闇だった時代」という表現が好きだ。

座敷わらし考

 

 

民衆と民間経営者と阪急の微妙なまぜこぜの力が「民都」の力となり、「公都」と相乗的にせめぎあい、経済的に「商都」「工都」として成長し、さまざまな移民を受け入れて行った「移民都」として、社会的に大きくなっていったというのが大阪の特徴ではないでしょうか。

 (水内俊雄 「公的」大阪の制度疲労と、新たな「民都」の創造 p243)

 

 

 この現代思想の大阪特集、今『通天閣』を読んでいますというお店の常連さんが存在を教えてくれて感謝。「文学界2012.7」の対談とあわせて、酒井隆史通天閣』を紐解く1冊かと思う。『通天閣』もう一度読み返さないとなあと思い始めている。

人生の道しるべ

f:id:cdya:20160122093702j:image

宮本輝 吉本ばなな 『人生の道しるべ』 2015
 
家にあった本をパラッと。途中あれーなんか世間話ーとか思ったりもしたが後半あたり「生死」感についての話は興味深く、不意にひとつ前に読んだ『星々の輝き』と大きくつながる体験も知って、なるほどそこは実体験だったのかと。吉本ばななの本はまだほとんど読んだことがない。
 

星々の悲しみ

f:id:cdya:20160111112644j:image

宮本輝 「星々の悲しみ」 1981
 
 宮本輝を読むのは2冊目。また続けてなにか読みたいと思える。このずーんとくる余韻にはまってしまうのだろうか。この短編集の中でも、じりじりとした夏の熱が残る「西瓜トラック」が印象的。どこかしらに些細な実体験からの描写が入ってるのかもとは思うが、どれもリアリティある日常をもっている文章が鮮明ですごいなと思う。
 

SHINE ALL AROUND

f:id:cdya:20151231133824j:image

01 雨の夜のバスから見える
02 SHINE ALL AROUND
03 ありふれたジャンパー
04 そこに座ろうか
05 愛したから
06 24時間営業のとんかつ屋
07 どうして男は
08 ともしび商店街
09 サイボーグの渋谷、冬
10 帰省
11 I Like You
12 小さな公園
13 Girl Like You
14 倒れかけた夜に
15 Tokyo-Osaka-San Francisco
16 また朝が来るなんて

【 CD 】 WEATHER 069 / UNKNOWNMIX 41 / HEADZ 211 / 2015.12.30 /

「豊饒ではじしらず」

 このアルバムのレビューを書くために、最近ずっと読んでいた大阪の通天閣釜ヶ崎についての本をまた広げていた。どうしても本の中のどこかに豊田道倫について書いてあったようなそんな気がして・・・

 「豊饒ではじしらず」とは新世界から飛田方面へとつながる裏通りジャンジャン町を形容した言葉であるが、そもそもジャンジャンとはその狭い通りにぎゅうぎゅうと半ば不法に店をかまえた酌人たちがかきならす三味線のやかましさから取ったものだという説からもいよいよロック的で、「独自の運動法則の元で生々しく脈打つ」「特殊」で「異例」なこの通りはそれ故にその「冒涜性がいろいろないかがわしさを惹きよせる磁場とな」り、どこにもない強烈な魅力を放っている。他にも「猥雑で乱雑」「無秩序の中の秩序」など広げて大阪の街を形容する言葉を見つけるにつれ、なにやら豊田道倫の音楽とシンクロしていくようで。

 デビュー20周年ということは大阪を離れてほぼ20年ということであり、しばらくは大阪出身と言われなければわからないほど、東京の、新宿の男であった豊田道倫が、実はずっと大阪を鳴らしていたとしたらどうだろう。あの圧倒的熱量で生々しくジャンジャンとギターをかき鳴らすステージ上の姿を思い出す。

 文学に対して音楽には賞が少なすぎると昨今考えていたことろだが、ずっと飛びたいからあえて低空飛行を続けているこの無頼派ロックシンガーにあえて今回、アルバムのひとつの核となろう「帰省」という歌になにか賞を贈りたいという思いが聞くたびに込み上げる。それほどこの歌は太く、聞く人を黙らせるほどの告白と表現をもつ、誰にも書けない男の、歌だ。

 「帰省」。20年経って、豊田道倫は大阪に帰ってきた。たくさんの仲間を連れて。たったひとりの息子を連れて。『SHINE ALL AROUND』はそんな姿が浮かぶ予想以上にちゃんと20周年記念な安堵と感謝と挑戦のアルバムで、ロックンロールの後に残る余韻はいつも以上に優しい。

 よりによって記念作に「豊饒ではじしらず」はさてどうだろうと思いとどまったその先の、じゃあ「はじしらず」とは何か?というグーグル検索。一番トップにでたのが壇蜜だった。「はじしらず」というタイトルの本を出していた。これは!と思ったのは言うまでもなくその延長が上記のレビューである。

豊田さん20周年おめでとうございます。また大阪で会いましょう。