街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

犬の記憶 終章

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森山大道 『犬の記憶 終章』 2001

 

 ふと手に入れた本だが森山大道がこんなに文章が書ける人だなんて。驚きと嫉妬のような(なぜに)感情。かっこよすぎるというかなんというか。文章だけでも充分じゃん!というか。日本のストリートフォトと言えばダイドーではあるはずで、だからこれまでどこかしら避けてきたところがある。強烈だから影響されたくない、こっち系ではやりたくない、でも惹かれる感覚。寺山修司との接点など、知らなかったので興味深かった。やっぱり少しだけまたカメラを持って街へ出たくもなるが、しかし街を撮るには厳しい時代になってきた。そのあたり写真家はどう考えているんだろう。

同時進行インマイヘッド

2/27 雨

22:30~ チェロマイクケーブル

on 80s トクメイザルドス コロネ ~26:00

 

2/28 快晴! 店不在

12:00~18:00 48PAN よんぱちマーケット

よなきさん、サンボンガワさん、きらきらさん、ちらし寿司、団子、桃

19:00~21:30 ギターパンダ 柏屋食堂 ドラムこうすけ

22:00 ジュンク堂

22:00~ 桜坂劇場 委託ドーナツ盤受け取り

 

2/29 

ジュンク堂音楽フェアー用、ドーナツ盤再納品準備

近年まれに見るバタバタ、作業に思いのほか時間かかりあせりまくる。

20時予定を21時に変更してもらって、なんとか納品。~23:00

 

3/1 天気

10:30~ カフェユニゾン

4月あがたさんライブ 機材チェック

12:30~ お店

 

3/2

あがたさん4月フライヤーやりとり。(感謝)

23:30あたりに発注・入稿まで完了

 

3/3 晴れ

朝、浦添市役所 →確定申告準備

あがたさん4月フライヤーページ調整、拡散。

ジュンク堂、再納品の件 →3/8?

ジェットウォンCD

 

3/4 晴れ

カニコーセンまで一週間

引き続きジュンク堂再納品の件

NEW 4/8DJ

 

火星温泉録

火星温泉の老舗「旅館ポコポコ」もだいぶ寂れちまったなあ。

 

 こっちの「旅館チャカポコ」は2号店ながら大門が近いのもあって比較的賑やか。観覧車風呂ももうそんなに目新しいものではなくなたけど、まだその巨大な姿は遠くからも目立ってる。ここの地下の売店にある火星饅がうまい。

 

 なんでこの地下街だけバオバブがこんなに育ってるのかは謎。肥料の問題?階段だと思ったらトリックだったり徳利だったりで最初来たときは戸惑ったが、いつもいいにおいしてるし、変に落ち着く。ご存知「ストロベリー」というレコ屋がある。満月定休。

浅草十二階

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細馬宏通 『浅草十二階』 2011

 

 結局一番私が目を輝かせたのは別日記に書いた、序文的な大阪についての話だった。だけだった。風船の話、仁丹塔も楽しかったが、やっぱり、、、この著者の視点が私の見たいとことはずれている気がして、細かく(しかも執拗に)迫るのはそこなのかぁ・・・という箇所がひたすら続いた本であった。この気配はだいぶ以前、ドミューンで氏が『うたのしくみ』に関連してユーミンの何かの歌についてだったか、迫っていた時にすでに感じていたことだったので、やっぱりそっかーという今回の読後の感想。本の半分くらいが凌雲閣というより「パノラマ」についての話だったのもあったし、あまりわくわくしなかった。

ミゲラ

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ずっと聞いてる1986オメガトライブのカルロスロシキは日系ブラジル人。

ふと見かけ見入った日本を撮ってる韓国の梁丞佑。

帰ったら台所で鳴ってた港町神戸のジェットウォン。

そして見たこと無い花の名前はミゲラ。

昨日はそんな日だった。

キタの九階、ミナミの五階

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 そろそろ通天閣を離れようと読み始めた『浅草十二階』。序章22ページ目にして大阪へ戻される(笑)

 元祖「凌雲閣」は大阪のキタにあった。浅草十二階よりほんの少し前、今の茶屋町あたりに「九階」建ての楼閣が、更にそれよりさらに少し前には日本橋に「五階」。エッフェル塔とほぼ同時期の高閣ブーム明治20年代頭。大阪。初代通天閣より20年ほども前だ。

 しかし今の日本橋電気街といえばその頃は例の名護町(長町)があった場所。そんなスラム街に五階とは言え当時の最先端の高楼が建っていたというのはちょっと想像してなかった。非常に興味深い。一体どんな町だったのだろう。

 「眺望閣は1904年(明治37年)ごろに、凌雲閣も昭和初期に取壊され現存しない。」ということを考えると、初代通天閣(1912年)は、ミナミの塔として眺望閣の存在を継いでるように思えてくる。いろいろな通天閣に関する本を読んだが、先にあった眺望閣のことについて触れているものはなかったような。

 

眺望閣 ミナミの五階 1888年(明治21) 

凌雲閣 キタの九階 1889年(明治22)

浅草・凌雲閣 浅草十二階 1890年(明治23) 

 

「眺望閣」と「凌雲閣」  大阪NOREN百年会 瓦版 第2号