街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

大阪放浪記2016秋②

2016.11.20日

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いつもは窓開けたら隣の窓なのに一転今回の部屋は絶景でした。1001号室。

 

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玉出の公園でのバザーに潜入

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枯葉舞うションベンガード

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難波屋カレー。

難波屋で工藤冬里さんと少し話せたのは曇った昼下がり。本番は見れなくて残念だったが、瓶ビールの向こうでリハのピアノ少し聞こえていた。

 

 

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 今回の旅の目的。この丸一年その著書を追いかけていた原口剛さん、そして酒井隆史さんが目の前に居るのはやっぱ、うあー本物だ。。という興奮が。ゲスト水野阿修羅さんのことは存じてなかったが言葉がとても残っている。釜ヶ崎という家。

 そばに座る酒井隆史さんが大島渚にも見えたりしてたのだが(笑)、原口剛『叫びの都市』の内容は本文にも出てくる『太陽の墓場』と直結していて。あの好きな映画の奥にあるもの、なぜ冒頭が港なのか、そして暴動(実際より映画の方が先というのが予知的?)、いろいろわかって更にお気に入りに。

 今移転の話で揺れるあいりんセンター、そして三角公園の夏祭りのやぐら、そのふたつが釜ヶ崎の門であり、モニュメントである。やぐらは労働者たちの本領発揮!ぱっと作ってしまう、そして何よりも守るべきもの、象徴。

 印象的な、きれいに舗装されたアスファルトをはがして投げつける行為は、お前らの好き勝手にはさせんぞ!という叫び、戦い。闇の奪還。

 

 ◆釜ヶ崎は真冬でも温かい◆  〈『部落解放』2002年04月号掲載〉 水野阿修羅

コラム・水平線020

帰り朝は四角公園での炊き出しの列も見た、飛行機では『暴力の哲学』を再度(正直難しい・・・)、マルコムX、ブラックパンサー、アメリカ、そして沖縄。

 

 

 

2016.11.21月

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「伊吹」

今池のとこの老舗喫茶店。玉出をぼんやり眺めつつ。メニューなし店の狭さもコーヒーも濃い印象

 

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ディスクユニオン大阪店」

やはり気になり。勝手に心斎橋かと勘違いしてたが梅田の方。園まり嬉しい。

 

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「つつみや」

ハイカラうどん400円。チェックしてた天満のうどん屋さん。「ハイカラうどん」なんてメニューにはないこと知らなかった。天かすの油と海苔ネギの合わせがとてもいい。

 

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去年の3月桜満開だった扇町の公園。紅い!桜って紅葉するの知りませんでした。

 

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レアな輝かない通天閣。(工事中)祝還暦!

大阪放浪記2016秋①

2016.11.18金

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「たつ屋」

ホルモン鍋1人前800円。動物園前のファミマの裏。相撲見ながら。うまかった。

 

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「喫茶マヅラ」

梅田地下街。万博あたりの内装だろうかまばゆいカラクリプラスチック。フルーツパフェ

 

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「ひげ勝」

西成花園。ここの串カツは別のとちょっと違う。やっぱうまいす。青唐、しいたけ、ぶた、、

 

 

 

2016.11.19土 京都

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「みつ蜜 坤高町店」

佐野千明さんにはじめて遭ってきた。さのっちって感じだった。佐野さんが店番してる焼き芋屋さんだよ

 

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紅葉の安楽寺

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ホホホ座

ホホホ座の壁に並んでいた『まだまだ知らない夢の本屋ガイド』の原画展、少し思い出している。本はその日は買わなかったがやっぱり気になるので買おう。「ポチッ」世代へのカウンターとしても面白い。

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街のパン屋さん

 

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「倖元」(ゆきもと)

ここしか開いてないから。という理由で飛び込みで入った蕎麦屋があたりだった!玉子とじ(十割)950円。瓶ビール

 

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豊田道倫ライブ 外

京都の少し外れ。あ、はずれだから「外」か?新しいおしゃれなライブハウス。豊田道倫。金ぴかのあのスニーカー。いつも通り聞いたことない=新曲にぐっと気持ちが乗っている。飛び道具の使い方もさすが絶妙。豊田さんは私の数少ない友人。

 

原口剛さんインタビュー

紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

 上記リンク先。「図書新聞」3130号2013年10月12日掲載と思われる『釜ケ崎語彙集1972-1973』への原口剛さんインタビュー。そのとてもわかりやすい釜ヶ崎の成り立ちについての語りは、『釜ヶ崎語彙集』へのというよりも、そのままその後2016年に出ることになる自身の著『叫びの都市』の要約になっているようだ。

 詩人「寺島珠雄」を中心にして書かれた『釜ケ崎語彙集1972-1973』は40年という時の歪み?も手伝って、ユーモアも交えかなり主観的に、ちょっとした小説のようで面白い。この記録を種に『釜ヶ崎のススメ』~『叫びの都市』へ。釜ヶ崎関係の重要書と思われる。

 

西萩町

 どうしても目指すは西萩(にしはぎ)である。おぎではない、はぎ。チエちゃんの住んでる町であり、はるき悦巳の出身地。今の地図には無いが架空ではなく、実在していた町。プレート※によると大正14年~昭和48年(1925~1973年)まであった町。

 そのことはじゃりン子チエ好きにはもちろん知られているが、この西萩がいったいどこだったか、いくつかの釜ヶ崎の本を読んできたが意外に地図は載っていない。いなかった。が、『釜ヶ崎語彙集1972-1973』の再現地図に「西萩」を発見した。しかし少し見づらいこともあったので、GoogleMapを使って、現在の地図の上に重ね、色をつけてみた。

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 赤のエリアが西萩町。と思われる。現在の花園北の一部。『釜ヶ崎語彙集』巻頭の「釜ヶ崎今昔対比地図」を参考に。

 

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 赤が西萩、青が東萩である。つまり真ん中の電車マーク=萩ノ茶屋駅を境にして、西が西萩、東が東萩。一般的に「釜ヶ崎」と呼ばれるのは萩之茶屋より東側(南海の高架橋より東)なので、西萩は釜ヶ崎の中には微妙に含まれていないという感じか。だからあまり地図に載ってないのかもしれない。まあ西萩に追究することも少ないか。

 漫画でも(アニメだけだったかな・・)最寄の駅は萩ノ茶屋駅ほぼそのままの姿ででてくるし、チエちゃんの通う西萩小学校(実在しない)のモデルではないかとされる萩之茶屋小学校はガードくぐればすぐだ。赤い囲みの上辺の西が長く伸びる鶴見橋商店街

 

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 さらに拡大。見切れてしまっているが花園町駅のところにある弘治小学校(廃校)の裏に、西萩町のプレートがある。その裏道あたりにお好み焼き屋もあったな。と、やっぱりこの赤いエリアのなかでホルモン屋やお好み焼き屋がないか探してしまうわけです。ちなみにこれも見切れているが左側の串カツ「ひげ勝」とてもいい。

 それなので『釜ヶ崎語彙集』にでてくる1972年に存在したとあるホルモン屋の記録に妙に興奮してしまうわけで、場所は残念ながら西萩ではないが・・・詳細がとてもチエちゃんの店に似ているのだ。萩之茶屋から今池に抜ける萩之茶屋商店街にあった「鶴一」

鶴一(つるいち)

ホルモン屋。西成警察署前を南へ過ぎた十字路を右に曲がった萩之茶屋商店街にある。向かいはしばしば投石されたパチンコ屋日大会館。ホルモン屋の多いなかでこの店をあげるのは、いまも炭火を用いているから。(中略)

カウンターと椅子席のほか奥に小上りの畳敷もある。

寺島珠雄釜ヶ崎語彙集』p136-137

 「カウンターと椅子席のほか奥に小上がりの畳式」。当時の店は大体がそんな感じだったのか、はたまた特徴的なのか。パチンコ屋は今もあるようで。さすがに鶴一はもうなさそうだが、探してみよう。跡地でもいい。じゃあ、ここがおばあの店だったんじゃ?そして西萩のテッちゃん改めチエちゃんが架空の・・・などという妄想の話です。

 

参考文献:

寺島珠雄釜ヶ崎語彙集 1972-1973』

原口剛 『叫びの都市』

 

※プレート↓

通天閣 第一章「ジャンジャン町パサージュ論」

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しかし、このような短期的利潤取得への動機が強かったからこそ、というようり厳密にいえば、長期にわたる人間の教育やそのための装置の構築などには興味をもたなかったからこそ、大土地の動きは、もともと当該の土地あるいは空間性がはらんでいた潜在的傾向性に追随することを選ばざるをえなかった。ルナパークは、初手から装置の破綻を運命づけられていたのである。

酒井隆史 『通天閣』第一章 p154-155

  2週目の『通天閣』今度はじっくり読めている。上記が一章「ジャンジャン町パサージュ論」のまとめといえる部分だろう。言わば面白い町をつくろうと思わなかったからこそ、面白い町ができあがった!という歴史、及びその概念は、やはり面白く、もちろん町の成り立ちだけに留まらず、いろいろな場面においてひとつのヒントになりそう。

 じっくりと読んでいくとこの一章だけでもたくさんの登場人物がでてくる。出たりひっこんだり、あちらでやらかしたり、やらかしたことが次の事件につながり~そうやって町ができていく。次第に本を覗く自分が、なんだか雲の上からグーグルマップ的に新世界界隈を覗いている気分になってもくる。このあたりは社会学?というのだろうか、歴史学だろうか、深く研究している学者たちは、少し自分が神がかった気分になったりしないだろうか。雲から下界を覗いて、登場人物を動かしたり、時代を進めたり戻したり、、街づくりシュミレーションか。

 話を戻すと、はじめに「新世界」をつくった大土地(大阪土地建物株式会社・土居通夫、高倉藤平、宮崎敬介)の目的が、街づくり、というよりもいわば単なるカネ儲け目当てのものであったがために、ぴしっとした「ユートピア」など生まれず、ほころびまくりながらズルズルと町はゆき、そのほころび目をねらって排除されたはずの者たちが逆流し、好き勝手に理想も計画もなく形作っていった街。そのいびつさとパワー。それが新世界。新しい世界であった。

通天閣

 

ほぼ一年ぶりに読み返し始めている。酒井隆史の大著『通天閣』。1年前にここから始まっていろいろ巡って一度戻ってきた。14ページに及ぶ膨大な巻末の参考文献ページ、通天閣~いわゆる大阪ディープサウスに関する資料用資料としても起点となる1冊である。

 

 ただ、この10年間で、秘密とそこから生まれる魅力は次々と失われていった。確実にいえるのだが、それは、謎解きがわずかなりともすすんだからというわけではない。このふところ深い町、したがってひとをただ一つの夢想に巻き込んでいく力――資本主義と呼ばれることもある――に免疫力のあった町にすら、おなじ眠りを眠らない者、おなじ夢想を生きない者、そのただ一つの夢想にそぐわない場を嫌悪する気風にさらされはじめたというところだろうか。

酒井隆史 『通天閣』p732 あとがきより

 

沖縄とは。ひかれるディープサウス、比較、魅力はわが町にはないか?近くて探せない。大阪へ行こう。そこから沖縄を見る。

反東京オリンピック宣言

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(~)支配勢力の第一の狙いが、2011年3月の複合災害によって引き起こされた社会的亀裂、国家的危機を、スポーツナショナリズムの鞭を全力で振るって正面突破しようとしている点にあることは、自明とはいえ、繰り返し確認しておく必要があるだろう。

鵜飼哲 イメージとフレーム 『反東京オリンピック宣言』p17-18

 

 そして、いま進行しているプロセスと存在しているようにみえる秩序に「波風たてない」ことが「現実」や「真実」よりもはるかに優先させられるという、日本ではもはやあらゆる局面にほとんど例外なく浸透しきったミクロな心性である。

(中略)

安部首相の「完全なコントロール」発言は、IOCにむけて、暗黙に字義以上のメッセージを発していたようにも思う。つまり、その発言で問題になっているのは、現実に福島第一原発がコントロールされているということではなく、「日本の現状」が完全にコントロールされているということ、そして、これからもコントロールするという約束である。

酒井隆史 メガ・イヴェントはメディアの祝福をうけながら空転する 『反東京オリンピック宣言』p89

 

オリンピックとは、ジェントリフィケーションを発動させるための装置にほかならない。p101

どのような様態をとろうと、ジェントリフィケーションの帰結はただひとつだ。それは、貧民から土地を奪い取る。p105

 オリンピックによる浄化キャンペーンは、日常生活の感性を動員し、そうして報復主義的反動をまき散らしていくことだろう。貧しき者たちを「迷惑」な存在だとする差別的感性は、都市空間をいっそう広く覆い尽くしていくに違いない。p107

原口剛 貧富の戦争がはじまる 『反東京オリンピック宣言』

 

逃亡の近代

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 私はそれを「生業のなだらかな平面」と呼んでいる。こうしたなだらかな平面がさまざまな規制や法的ルールによって水路づけられ、がんじがらめになるにつれ、人は、賃労働か失業かという二者択一につねに直面し、日々不安と恐怖に苛まれながら賃労働の体系を内在化し、実態としても賃労働者化(あるいは失業者化)を余儀なくされることになる。なぜ権力は、いま、露天や屑拾いのような雑業の糧をかくも取り締まりたがるのかも、その点から考える必要がある。

酒井隆史 『逃亡の近代』 アステイオン079 p126-127

 

 これまで移動や移民の現象は、経済法則や政治の動向に左右されて生じるとみなされ、そこに内在する欲求や感情、自由への希求といった側面は二の次とされることが多かったようにおもわれる。とりわけ、資本主義こそがこうした移動や移民を動かす動因であるようにとらえなれる傾向は根強かった。しかし、資本主義とは、こうした運動をむしろ封じる対抗運動ではなかっただろうか。

酒井隆史 『逃亡の近代』 アステイオン079 p133

 

  目からうろこ!というような電球が頭の上でピカーン!とまでは来てないが、もう2度ほど読んで他のことも反芻すればでっかいテーマを抱けるかもしれない。2つめに引用したあとがきの部分が特に。確かにそこに暮らしていた人間が先であって、資本主義なんかが先ではない!大書『通天閣』をわずか14ページに縮小したようなこの文章は、その2年後に書かれている。

 資本主義という巨大な「網」のイメージ。魚捕りだか虫取りだかの網。いまや全世界を覆う。それこそ赤子から死んでからも?老若男女をその網ですくおうとしている。昔はテニスのラケット状?いやもっと網の目は大きかったので、そこからこぼれるもの、逃亡するものは多く居たが、というかその姿は本来、人の自由さであって誰にも留まれ!という権利はないはずで。全てをすくうため網の目は次第に細かく細かくなっていく、誰も取り逃さない。こぼれることを許さない。全員が網の主の思う場所へ引っ張られていく。すくうが「救う」ではないこと。

 そもそも「逃亡」とは捕まる、囲まれる、からそこを起点に逃げるのであって、野良犬が昨夜寝た場所から移動することは逃亡とは言わない。ことを考えると権力やら網を持つものの存在への懐疑、本来人間がもってる自由、野良で居ることのパワーを改めて考えてみる。

 例えば、酒井隆史、原口剛らは言葉と文字というハサミでその網をやぶろうとしているのでは。こっちだよって。網の中の人数は、網を持つ者より圧倒的に多いはずであり、一丸となって動けば実は網ごとぶっ壊せるはず。別書の『反東京オリンピック宣言』を呼んだ後だったんで、なにか、なにが「Tポイントカードはお持ちですか?」だ!引き続きそんなモン作ってなんかやらん!という思いが強まった。(そんなまとめでいいのか・・・

 全員を掬って管理しようとしてる網、その網目がオゾンホールじゃないが、なんか擦り切れて薄くなってるとこが釜ヶ崎なのかもしれない。しかしガンガン網目は周囲から頑丈で細かいものに修復されていってる。あそこにドンキができたこと、どう考える!?