街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

記録メモ

 

 「世の中が進むにつれ、人工の明かりに夜の闇がうすれ、怖いもの、ふしぎなもの
が、急速に身近なところから消えてしまった。
 思えばもの心ついた頃から夜の闇が怖かった。あの漆黒の闇には、おどろおどろ
したもののけが潜んでいて、今にも掴みかかられるような気がして、身がすくんだ。
テレビがなく唯一の情報機関のラジオも雑音で聞き取りがむずかしく、子どもたちの
好奇心を満たすのは、大人から聞く昔語りの比重が大きく、それには夜の闇が重要
な舞台装置となっていた。
 山には山の神、川には河童が存在したのも乱開発を押さえ、子どもらを危険から
守る役目を果たしていたのかも知れぬ。それでは幽霊や狐火はどうだったのか。」
国香よう子 「座敷わらし考」より抜粋

 

 

 「絶対王政期に街灯がもうけられたパリでは、大革命からパリコミューンにいたる
まで、民衆蜂起と街灯破壊は不可分だったはなしは有名だ。闇の奪還は、戦略上
も生活上も、一つの民衆的要求項目だったのだ。」
酒井隆史+マニュエル・ヤン「歴史の亀裂を遊歩する山猫たち」『現代思想 2012.5』