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街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

叫びの都市

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原口剛 『叫びの都市』 2016

 

 ↑の「通天閣」のタグを遡ってみるとほぼ1年前からはじまった大阪ディープサウス、改め自分的にはまとめて総称「通天閣」についての文献集め。『釜ヶ崎のススメ』そしてなにより酒井隆史氏とのジェントリフィケーションについてのディスカッションで、その名を知り急激に注目すべき人物となった原口剛(はらぐちたけし)氏の確か初の単独の著書。原口さんはまだ40歳です。

 1年追いかけてきて、遂に出る単独本!ということで、勢い余って、そしてここでなにかひとつの締めとして、11/20の出版記念イベントに参加してきました。三角公園のすぐ前、ふるさとの家にて。お昼15時から。

 イベント主催の「はなまま」さんにも事前にメールでやりとりしてもらって、会場でも声かけてくれたり、とてもお世話になりました。西成にまたひとつ知っている場所できたのもやはり今回行ってよかったと思える体験。

 会場の満員の椅子、座っている人たちはホントにいろんな人々、学生や、研究者ぽい方から、ずっと喋ってるおばあちゃん、その隣にはシスター、車椅子の方、そしてこのあたりの労働者ぽいおっちゃんたち。事前にはなままさんのメールの中にあった、「釜ヶ崎らしく、まずは釜のおっちゃんらが主人公だという立場にたちざっくばらんに話し、その中で現実の釜を知ってもらう」という思いを、その場にいるだけで実感した集まりでした。

 

 今回、お話がとても残っているゲストの水野阿修羅さんがひとつ、この『叫びの都市』で間違っているものがあると発言したのは、相撲の件についてだったのが、会場の笑いを誘っていた。本文p252あたり、夏祭りの起源となった1971年12月10日の行政に対する越年要求にむけた決起集会における相撲事件について。本には集会が盛り上がらず早めに終了した「その後」、時間をもてあました人たちが相撲をはじめた。とあるが、阿修羅さんが訂正するには、終わったあとじゃなくて、相撲がはじまったのは決起集会の最中だった!という証言。話がつまらなくて飽きてきたおっちゃんらが、決起集会やってる後ろで、相撲をやりだして、それが正面の舞台そっちのけで、大盛り上がりになってという真実(笑)。仕切っている実行委員からしたら頭痛くなりそうな状況だが、しかしやっぱり面白い。これが釜ヶ崎か。この盛り上がりをヒントに三角公園でスポーツ~のど自慢大会を開催することになり(またその機転もすごい)、それが現在も続く1972年の夏祭りへとつながっていく。

 おっちゃんらの盛り上がりがなんかイメージすると騒がしくもほほえましい感じするが、象徴となる夏祭りのやぐら、三角公園を奪われたモノタチが、真っ先に壊しにくるのもこのやぐらであり、無論同じく決死に守るのもこのやぐらであった話。そして本領発揮!とはこのこと、あっちもこっちも造ってきたプロのおっちゃんらが、ぱっと建ててくれるこのやぐらという、釜ヶ崎のひとつの誇りのような存在は感動するものがあった。

 今移転で揺れるあいりんセンターも壊してはいけない、この釜ヶ崎の門でありモニュメントであるという話。次の日、歩いていたら、警察署のあたりに行列ができていて、気になったのでたどってみるとその裏の四角公園での炊き出しであった。あの光景を体験できたのも大きい。この街は無くなってもかまわない街だろうか?

 

 実は今回、一年追ってきた原口さんでも一番めあてだった酒井隆史さんでもなく、やはり最も残っているのは水野阿修羅さんの言葉であった。あの鈴木組闘争に関わってた人なんだ!?ということでも感動しながら聞き入った。(俺の中で有名人が目の前にいっぱい!)

 阿修羅さんの話を頭で要約するに。「こんな汚い街なんかいらない!」の声がやっぱりあるけど、実際ここに住んでみてこんなに面白い街なんかどこにもない!ということ。全国各地から押し出された、「ややこし人」ばっかり集まってきた街。でもそんなややこし人らは誰とも違って個性的だし、他の街ではのけ者でも、この街では弾かれない。その過去を聞かれることも無い。誰にでも寛大な街、釜ヶ崎

 私が、釜ヶ崎が好きな訳、それは「面白い街」だからでいいんだ。阿修羅さんの話でふっと胸のつかえが取れたような、いや改めて気がついたような、それがこの1年間言えずにいたことだったのかもしれない。

 

 住む、というのは寝るだけではない。食うこと呑むこと、またくつろぎ憩うことなども住むないし暮らすことののなかみだ。そして労働者はドヤの一畳あまりのスペースに住んでいるのではなく釜ヶ崎に住んでいる。釜ヶ崎で酒を呑み飯を食い仲間としゃべり喫茶店や三角公園でテレビを眺めなどする。要するに現在一般化した住居様式でならダイニングキッチンや居間の役割を、労働者は釜ヶ崎という範囲の町に果たさせているのだ。果たさせる以外の方法がないのだ。だから釜ヶ崎は一つの町であるが、労働者にとっては仕事場から帰りついた住み処という性格が認識されている。ドヤはそのうちの単なる寝室にすぎない。酔いすぎた者が寝室以外でも眠るのはむしろ自然なので、そう咎めだてする必要はない。

寺島珠雄釜ヶ崎語彙集 1972-1973』 p120 [酔い倒れ] 

 

 

釜ヶ崎は真冬でも温かい◆

〈『部落解放』2002年04月号掲載〉 水野阿修羅 コラム・水平線020

コラム・水平線020

 

 早速、『その日ぐらしはパラダイス』(1997)を購入。一つの締めとは言え、まだしばらくこの街を探索することになりそう。

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