街はトワイライ

CD屋トマト先輩の日々

通天閣

 

ほぼ一年ぶりに読み返し始めている。酒井隆史の大著『通天閣』。1年前にここから始まっていろいろ巡って一度戻ってきた。14ページに及ぶ膨大な巻末の参考文献ページ、通天閣~いわゆる大阪ディープサウスに関する資料用資料としても起点となる1冊である。

 

 ただ、この10年間で、秘密とそこから生まれる魅力は次々と失われていった。確実にいえるのだが、それは、謎解きがわずかなりともすすんだからというわけではない。このふところ深い町、したがってひとをただ一つの夢想に巻き込んでいく力――資本主義と呼ばれることもある――に免疫力のあった町にすら、おなじ眠りを眠らない者、おなじ夢想を生きない者、そのただ一つの夢想にそぐわない場を嫌悪する気風にさらされはじめたというところだろうか。

酒井隆史 『通天閣』p732 あとがきより

 

沖縄とは。ひかれるディープサウス、比較、魅力はわが町にはないか?近くて探せない。大阪へ行こう。そこから沖縄を見る。

反東京オリンピック宣言

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(~)支配勢力の第一の狙いが、2011年3月の複合災害によって引き起こされた社会的亀裂、国家的危機を、スポーツナショナリズムの鞭を全力で振るって正面突破しようとしている点にあることは、自明とはいえ、繰り返し確認しておく必要があるだろう。

鵜飼哲 イメージとフレーム 『反東京オリンピック宣言』p17-18

 

 そして、いま進行しているプロセスと存在しているようにみえる秩序に「波風たてない」ことが「現実」や「真実」よりもはるかに優先させられるという、日本ではもはやあらゆる局面にほとんど例外なく浸透しきったミクロな心性である。

(中略)

安部首相の「完全なコントロール」発言は、IOCにむけて、暗黙に字義以上のメッセージを発していたようにも思う。つまり、その発言で問題になっているのは、現実に福島第一原発がコントロールされているということではなく、「日本の現状」が完全にコントロールされているということ、そして、これからもコントロールするという約束である。

酒井隆史 メガ・イヴェントはメディアの祝福をうけながら空転する 『反東京オリンピック宣言』p89

 

オリンピックとは、ジェントリフィケーションを発動させるための装置にほかならない。p101

どのような様態をとろうと、ジェントリフィケーションの帰結はただひとつだ。それは、貧民から土地を奪い取る。p105

 オリンピックによる浄化キャンペーンは、日常生活の感性を動員し、そうして報復主義的反動をまき散らしていくことだろう。貧しき者たちを「迷惑」な存在だとする差別的感性は、都市空間をいっそう広く覆い尽くしていくに違いない。p107

原口剛 貧富の戦争がはじまる 『反東京オリンピック宣言』

 

逃亡の近代

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 私はそれを「生業のなだらかな平面」と呼んでいる。こうしたなだらかな平面がさまざまな規制や法的ルールによって水路づけられ、がんじがらめになるにつれ、人は、賃労働か失業かという二者択一につねに直面し、日々不安と恐怖に苛まれながら賃労働の体系を内在化し、実態としても賃労働者化(あるいは失業者化)を余儀なくされることになる。なぜ権力は、いま、露天や屑拾いのような雑業の糧をかくも取り締まりたがるのかも、その点から考える必要がある。

酒井隆史 『逃亡の近代』 アステイオン079 p126-127

 

 これまで移動や移民の現象は、経済法則や政治の動向に左右されて生じるとみなされ、そこに内在する欲求や感情、自由への希求といった側面は二の次とされることが多かったようにおもわれる。とりわけ、資本主義こそがこうした移動や移民を動かす動因であるようにとらえなれる傾向は根強かった。しかし、資本主義とは、こうした運動をむしろ封じる対抗運動ではなかっただろうか。

酒井隆史 『逃亡の近代』 アステイオン079 p133

 

  目からうろこ!というような電球が頭の上でピカーン!とまでは来てないが、もう2度ほど読んで他のことも反芻すればでっかいテーマを抱けるかもしれない。2つめに引用したあとがきの部分が特に。確かにそこに暮らしていた人間が先であって、資本主義なんかが先ではない!大書『通天閣』をわずか14ページに縮小したようなこの文章は、その2年後に書かれている。

 資本主義という巨大な「網」のイメージ。魚捕りだか虫取りだかの網。いまや全世界を覆う。それこそ赤子から死んでからも?老若男女をその網ですくおうとしている。昔はテニスのラケット状?いやもっと網の目は大きかったので、そこからこぼれるもの、逃亡するものは多く居たが、というかその姿は本来、人の自由さであって誰にも留まれ!という権利はないはずで。全てをすくうため網の目は次第に細かく細かくなっていく、誰も取り逃さない。こぼれることを許さない。全員が網の主の思う場所へ引っ張られていく。すくうが「救う」ではないこと。

 そもそも「逃亡」とは捕まる、囲まれる、からそこを起点に逃げるのであって、野良犬が昨夜寝た場所から移動することは逃亡とは言わない。ことを考えると権力やら網を持つものの存在への懐疑、本来人間がもってる自由、野良で居ることのパワーを改めて考えてみる。

 例えば、酒井隆史、原口剛らは言葉と文字というハサミでその網をやぶろうとしているのでは。こっちだよって。網の中の人数は、網を持つ者より圧倒的に多いはずであり、一丸となって動けば実は網ごとぶっ壊せるはず。別書の『反東京オリンピック宣言』を呼んだ後だったんで、なにか、なにが「Tポイントカードはお持ちですか?」だ!引き続きそんなモン作ってなんかやらん!という思いが強まった。(そんなまとめでいいのか・・・

 全員を掬って管理しようとしてる網、その網目がオゾンホールじゃないが、なんか擦り切れて薄くなってるとこが釜ヶ崎なのかもしれない。しかしガンガン網目は周囲から頑丈で細かいものに修復されていってる。あそこにドンキができたこと、どう考える!?

上田現

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 不意に入る上田現スイッチ。オン!!

昨日もきいた『コリアンドル』。うーん。聞いてもう25年か?やっぱり素晴らしい。永遠の一枚。この中に住みたい。んで、上田現が歌う「腹踊り」なんて、いつか聞きたい。あそこ行ったら聞けるんなら楽しみにしとこ。と毎度考えたりしててふと検索してみたら、ライブで歌ってた。興奮した。

■腹踊り

 ↑の現ちゃんファンの方がセットリスト残してくれていて、ありがたい。ずっとライブ行ってたのかなあ。無茶無茶好きだったんだろうなあ。特に聞きたい「腹踊り」んで「-6m」まで、最期のライブ「PIANO to DUB」(注1)で演ってたことをはじめて知る。

このセットリストを遡り、セルフカバーを書き出してみた。すごい。聞きたいのほとんど演ってたんだ。『さくらさくら』『LOVE SONG』から『シュハキマセリ』!!

レピッシュ
パーティ
腹踊り
-6m
さくらさくら
回送電車
シュハキマセリ
water
(爆裂レインコート)
歌姫
ハーメルン
LOVE SONG
28才
胡蝶の夢

元ちとせ
約束
恐竜の描き方
千の夜と千の昼

 いくつかはわからない曲もあり、正確ではないかもしれないがこんな感じか。「虫歯ゴロン」「パンダ」ってなんだろ笑。キニナル。

 注1)このお寺でのライブは数曲だけDVD化されている。上田現『Atlas』

 

■『make』~『コリアンドル』

 セルフカバー、レピッシュ時代の特に好きな奇曲「腹踊り」を含んで、アルバム『make』から3曲(注2)も演ってたことにうれしく思った。上田現といえばどうしても『コリアンドル』である私としてはそれを軸に考えたときに、レピッシュ『make』時期とのつながりを改めて感じた。歌の題材、あの不気味で儚い、ここではないどこかの現ちゃんワールドは色濃く、2作共とても近いものがある、兄弟的な。『make』の時期の上田現の中での膨張が名作『コリアンドル』を生み出したと言っていい気がするし、あの時期の上田現レピッシュの中では収まらなかったくらい歌があふれていたことを想像するとものすごく興奮するものがある。そもそもなぜ上田現があのタイミングでソロを出すことになったか、出せたのか謎ではあるが。音楽が売れていた時代、結果的にありがとう。というしかない。

 

1990.10.17 『make』

1991.01.01 『ハーメルン

1991.06.21 『コリアンドル』(録音1990.10~1991.04)

1991.12.16 『TIMES』

 

『make』(注2)

05 -6m(上田現/上田現

06 落下傘部隊(MAGUMI/上田現

07 腹踊り(上田現/上田現

12 ハーメルン上田現/上田現

 

 『make』の後にでたレピッシュ音源はミニアルバム『TIMES』であり当時、なんで上田現の歌が一曲もないのだ!!と憤慨した記憶だが、こうしてみるとその前にソロでてるわけで、当然か。ある意味『TIME』が狂市ソロ、『コリアンドル』+『TIMES』で幻の?『make』に続くレピッシュアルバムになっていたというのが、考えられるひとつの説である。そう考えるとレピッシュの歌を上田現本人の声で聴きたい!という最初の強い欲求・妄想と。『コリアンドル』の曲をMAGUMIの声で聴きたい。そんな新たなイメージもでてくる。(これはまだ実現可能だよな・・)

 

ディスコグラフィーに関しては毎度↓のサイトを参考にさせてもらっている。

レピ穴現全ディスコグラフィー

フェニックス

駅前の崩れかけた 灰色のビルの中で

鳩のもげた羽根を 拾い集め燃やした

 

炎の影から生まれた 真っ黒い馬に乗って

駆け抜けた街の景色 色とりどりの人が踊る

 

柔らかな感触を 温かい体温を

過ぎ去った夏の日を 解き放った鎖を 残して

 

大空へ

 

弟の亡骸を抱えたまま歩く足音が

大地から生えている針が刺さる音が

可愛らしい母親が歌う子守唄が

駅前の崩れかけた灰色のビルの中

聞こえる

 

ペガサス 「フェニックス」

 

夏の5枚

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ピチカートファイヴ 『カップルズ』 1987

 

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渡辺満里奈 『SUNNY SIDE』 1988

 

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真島昌利 『夏のぬけがら』 1989

 

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BEGIN 『音楽旅団』 1990

 

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佐野千明 『屋上の終集合曲集』 2013

 

こんなんばっかやってる。8月14日、日曜日、晴れ。夕暮れ前に今日が夏だなあとちょっと思った。やわらいできたのかもしれない。

 

「山の日」企画、山の5枚

 

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山葉 『弓になって』 2001

 afterメンボーズ、聞くと勇気が湧く、どっしりした不安定感、もう消えそうな音楽の芯を感じる。帰ってきて欲しいと思う。「女性」ということかもしれない。メンボーズ2人のうち、どっちがどっちだかこないだ調べた気もしたが忘れてしまった。/ヤッホー山葉/山葉の心/

 

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上田現 『森の掟』 1996

 森の掟とは岡本太郎の作品かららしく。/森は僕をこらしめるだろうか/まあ命までは/森をのぞく者は又森にのぞかれ/ しかし森=山か?どうみても森ではないジャケがまた不思議である。我が心の上田現、セカンドアルバム。

 

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筋肉少女帯 『猫のテブクロ』 1989

 ⑤「Picnic at fire mountain」 ⑥「Go! Go! Go! Hiking Bus」 ⑦「最期の遠足」と改めて思い返すとかなりの山アルバム。うっちー印の山プログレミニ。後に「山と渓谷」という曲もあって、あれも内田曲だな。/キノコ山山中で行方がわからなくなりました/

 

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泊 『山の歌』 2014

 山男にゃー惚れるなよつことです。キコリ、キコリには常に髭が生えているだろうか。しかし山が男ならば海は女だろうか。セカンドアルバムにこのシングル4曲すべて収録されているが、アレンジが全然違います。/住めば都の山小屋暮らし/ヤッホホイ/唄も雲に投げて/

 

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戸張大輔 『ギター』 1999

 裏ジャケの頂上に座る姿に目がそらせなくなる。山。すぐさま呪文やら魔術をイメージするこのミュージックには、もれてくる月光を感じるし、それは闇の毛布。/ふたりのゴンドラに灯ともしたんだ/夜空に浮かぶよ愛のメッセージ/